阿蘇の全てに宿る力。人間と自然の行く末は。

コンクリートの照り返しと、どうにもならない蒸し暑さ。そんな名古屋の地を飛び出し、我々は熊本県阿蘇市へ飛んだ。ここに、今どうしても会いたい人、今どうしても見ておきたい景色があったからだ。コロナで一度機会を逃しているだけに、いやおうなしに期待に胸が高まった。

飛行機からは、阿蘇の外輪部がはっきりと見て取れた。

熊本空港に降り立ったときの、頬を撫でる風の軽さといったら。国道212号線を走りながら、レンタカーの窓は自然と全開になっていた。

アポイントの時間まで、阿蘇の自然を一望できる場所へ。
青々とした芝生と、高い木々。濃淡さまざまな緑が私の視界を覆った。

お目当ては、この方。阿蘇の自然や人の魅力に引き込まれ、関東から移住を決めたという石垣圭佑さんだ。

石垣さんは、2016年に起きた熊本地震に、ボランティアとして埼玉県から参加。それまでは、熊本県にも阿蘇にも、なんのゆかりもなかったという。地震が起こる直前の4月頭に、9年務めた勤務先に退職届を出したばかりで、次の就職先を急ぐこともなかったという石垣さんは、1週間という当初の予定をゆるゆると伸ばし、呼ばれるままにボランティアに打ち込んだ。

地震の被害を受けた家屋の片付けや、被災した農家の支援などに加え、復興を祈念した田植えのイベントにも参加。阿蘇の人々の笑顔や、底抜けの明るさ、そして震災にも負けない前向きな姿勢に心を打たれ、気づけばすっかり阿蘇に居着いていた。

「こっちに住むのもおもしろいな、そんな人生もアリかな、なんて思って。阿蘇で暮らす方々や、阿蘇という地域に魅せられていたんです。ボランティア活動に一区切りをつけたタイミングで、住まいを探しました」

しかしこれが、なかなか見つからない。空き家はあっても、さまざまな理由で貸し出すなどの活用がされていないのだ。移住者の多くがぶち当たる壁、それが住まい探しだった。
阿蘇に対して同じような悩みを持つ移住希望者の力になりたい。空き家の扱いに困る阿蘇の人たちの助けになりたい。そんな思いから、前職が不動産管理会社で宅地建物取引士の資格を持っていた石垣さんは2018年、阿蘇での復興支援活動を通じて出会った仲間たちと「合同会社阿蘇人(アソウト)」を設立。住まいの紹介や空き家の管理を中心とした移住者支援を始めることにした。

会社の設立から2年、移住して4年。今では多くの人が、石垣さんを頼って相談に来る。石垣さんはそのひとつひとつに耳を傾け、暮らしに困っている人がいればサッと出かけて仲介役になり、家のリフォームで悩んでいる人がいれば道具を持って駆け付ける。阿蘇にもとから住む人も、石垣さんを通じて移住してきた人も、親しみをこめて彼のことを「ガッキー」と呼ぶそうだが、それがうなずける。自身の利益のためにではなく、阿蘇を愛するすべての人のために、彼は動くからだ。
彼と話しながら、私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節を思いだしていた。

「阿蘇に住む人は、なんでも自分で頑張る人が多いです。というかやらなくてはいけない環境にある。僕自身も皆さんからいろいろなことをたくさん教えてもらいました。火山のふもとで自然の恵みも脅威も知りながら共に生きる、たくましい人ばかりなんですよね。みんな阿蘇のことが好きだから、いつでも笑顔なんですよ。そういうところが好きなんです」

阿蘇の良さ。そんなこと、彼に聞くまでもなかった。
その笑顔がすべてを物語っていたからだ。

お話を聞かせていただいたあとは、「アソウト」が管理する貸し切り一軒家の民泊施設「玄冬」を見せていただいた。阿蘇の山々から出た間伐材や、熊本県の名産品である八代のい草を用いてリノベーションされた物件だ。

リノベーションに際しては、鳥取から移住した知り合いの大工に監修してもらい、「珪藻土塗りワークショップ」を開催。2日間でのべ30人が参加し、全ての壁を塗り替えたそうだ。 間伐材のフローリングや畳を敷き、障子や襖の細かな建具調整なども行った。
短期~中期宿泊が可能で、6名は余裕で泊まれるほどの広さがある。椅子や机、棚などの調度品は知り合いから譲ってもらったり、端材を使ってリメイクしたりしたものもあるそうだ。「福岡から知り合いのインテリアコーディネーターに来てもらい、照明やカーテン、寝具や小物類を選んでもらったりもしましたよ!」と石垣さんは話す。

今あるものでやりくりする。それが阿蘇での暮らし方。ここで活きるのは知恵や経験、そしてアイデアだ。

「仲間同士の気兼ねない旅行やバーベキューはもちろん、創作活動や観光の拠点にしたい方、阿蘇への移住を検討されている方に、ぜひとも利用していただきたいです。ただ阿蘇の自然を眺めながら『何もしない』をしにくるのもいいかもしれませんね」と石垣さんは話す。

おもむろに、縁側のロッキングチェアに腰かけてみる。午後の穏やかな風がそっとスカートをそよがせた。

この宿の管理を手伝っている、黒木陸(リック)さんにも話を聞くことができた。

「アソウト」の活動や石垣さんの人となりを知り、6月に阿蘇に移住してきたという黒木さんは、なんと1か月ほど前に空き家を購入したばかり。現在リノベーションの真っ最中だという。
そしてご厚意で、手入れ中のご自宅を見せていただけることになった。

すらりとしたモデルのような体を、石垣さんから借りているというガタピシの軽トラックに収めて、リックさんは自宅へと案内してくれた。

「古民家」という名前がぴったりな一軒家。「草や木が多い茂っていた庭を2週間でようやく切り開けたところ。まだまだ先が思いやられる」と黒木さんは笑う。ゆくゆくはリビングとダイニングの壁を抜いてひと続きのスペースにしたいという。それから畳を剥がして新しくし、お風呂場やトイレも整える必要がある。11月の完成を目ざしているそうだが、聞いているだけで容易ではないことが想像できた。しかしさらに黒木さんは続ける。「でも、こういう暮らしがしたいから、いいんですけどね」。

「田舎で自分の暮らしを作りたいなら、こういうこともしなくてはいけないから。壊すのも作るのも自分。自分でやらなきゃ住めないんだから、やるしかないですよね。仲間や地元の人が手を貸してくれたりするけれど、やると決めたら自分でやるという覚悟がないといけないかな。だから田舎で暮らすのは、やっぱり大変なこともある。これから移住を考えている人には、ちゃんとこういう面も知っておいてほしいな」

晩秋に完成する(予定の)新居に遊びに行く約束をして、黒木さんとは別れた。
鳥が高く飛ぶ空をぼんやりと眺めながら、私は、楽しいだけでは暮らしていけない田舎での暮らしを思った。阿蘇に住む人をはじめ、自然と生きていく人はみな、それなりの苦労をたくさんしているはずなのだと。
それでも、ここにいたい。この土地の人になりたい。そう願うから、どんなことでもやれる気がするのだろう。

この広い世界で、そう思える地に出会えることは、どんなにか幸せだろうか。

その後は石垣さんの計らいで、稲の水田を見せていただき、イノシシ除けの柵を設置するお手伝いをさせていただいた。地元の方に協力してもらいながら、石垣さんが今年から育てているのだという。

適当な長さに切り揃えた竹を、等間隔に田に指していく。キラキラと反射するビニールテープで田んぼ全体を囲えば完成だ。このとき、テープは稲に当たらないくらいの高さにするのがポイント。稲穂が当たってしまうとそこで成長がさえぎられてしまうのだそうだ。

作物と生き物にやさしい、リン系の肥料も散布した。ヤギなどの家畜も食べられる、ミネラル豊富な100%天然由来の肥料だ。

清らかな水が滾々と沸いていた。根っこからぐいぐいと吸い上げ、秋には立派な穂を実らせるのだろう。

「虫がいるから、作物が豊かに育つんですよ」と教えてくれたのは、阿蘇で商店を営む鎌倉吉孝さん。安心安全で、自然の恵みがたっぷり詰まった作物を自分の子どもに食べさせたいという一心で農業を始めて、6年目になる。米の他に、トマトやきゅうり、なすやにんにくなどの野菜も育てているそうだ。

おかげで、田や畑はお子さんたちにとって格好の遊び場に。トンボを追いかけたり水路でザリガニを獲ったり、土と生き物に触れさせながら過ごしたという。「親子のコミュニケーションにもなりましたね」と、鎌倉さんは父親の顔をのぞかせた。

鎌倉さんの田には、おびただしいほどのトンボが飛んでいた。しかもさまざまな種類がいるのだ。害虫のパトロールをしてくれているのだという。

「こういう、土の中や稲にも虫がいるんだけれど、それを食べてくれる虫もいるから循環しているんです。作物のだいたい2~3割は食われてしまうけれど、それ以上の恩恵をもらっているから、あえてそうさせているんですよ。そのほうが生き物にも丁寧でしょう。もちろんうまくいかないこともたくさんありました。けれど、人間のワガママで農薬をまいたり虫を駆除したりはしないというのが、私のやりたかったことですね」

稲を刈り取った後は、土壌を整えるためにクリーニングすることもあるという。そのときはヨーグルトや納豆、イーストなどの菌類を培養させて土になじませるのだそうだ。
鎌倉さんがこだわるのは、生き物の力を借りて田畑を循環させること。人間はあくまで「管理人」的な立場で永続的に手を入れるのだ。

自然と共存する。しかしほんの少しだけ人間が上であるように。
農業も産業も暮らしも、その微妙なバランスの上に成り立っているのだ。

ひぐらしが鳴く。阿蘇での一日が終わる。
山に陽が沈む様子を、ぼんやりと眺めていた。

阿蘇で出会ったヒト・コト・モノ。
その全てが、自然をなくしては語れなかった。

しかしそれは、想像していたような「悠々自適なスローライフ」では決してなかった。
荒々しい火山のふもとで、美しい水と豊かな土壌のありがたみを感じながら、それらに感謝し、それらを利用し、それらを助け、今できることだけをする。
阿蘇での生き方は、そんな「ひたむきな命の営み」なのだ。

人が人として自然とともにあるべき姿の原点を、阿蘇での出会いで見つけたような気がした。

「またおいで」。
呼ばれた気がして振り返ると、阿蘇の山々がふっと笑ったように見えた。

Text:光田さやか
Photo:荻野哲生

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