殷賑の伊勢と、閑寂の二見ヶ浦。
上巳(3月3日)。
猿田彦神社と、伊勢神宮へ参拝。


花びらも露を纏う日だった。
参道へ歩みを進め、感謝と決意を述べに参る。
ときにひやりとした風が吹くので、足元からの寒気が頭の先まで抜けていくような感覚を覚えたが、それがかえって清々しく、実に足取りも軽い。
伊勢神宮では、 私と同じような年代の女性の参拝客が多い気がした。
幾分か楽しげに話してはしていたが、神前では神妙な面持ちで手を合わせていた。

平成もいよいよ終わりを告げようとしている。
伊勢神宮は、いったいどれだけの時代の終わりと始まりを見てきたのだろう。
時に、お腹はすいて。
殷賑のおかげ横丁にて、定番ともいえる「豚捨」の牛丼をいただく。




濃厚なこのタレの味に、箸が止まらない。
疲れた体を急回復させながら、「豚捨」という屋号について思いを巡らせてみた。
調べたところによるとその昔、豚を飼っていた捨吉という男がいたそうで。
食肉店を始めたが、周りから「豚捨」と呼ばれていたこともあり、それがいつの間にか屋号になったというのだ。
しかし一方で、この店の出す牛肉のあまりのおいしさに、客が「豚なんか捨てちまえ!」と豚肉を投げ捨てたのだという逸話もあるのだとか。
…昔の人の考える屋号というのは、紐解くとおもしろいものばかり。
本当に感服させられる。

サラダもいただいた。隠れた絶品だ。
二見への移動は、車で15分ほど。
「賓日館」へ。
伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、英照皇太后の伊勢来訪に合わせて1886年12月から1887年2月までの約3か月で建てられたそうだ。

ひっそりと、慎ましやかに桃の節句が祝われていて。
なんとも奥ゆかしくて好きな雰囲気だった。




しばし閑寂に浸る。
要人たちをもてなしたであろう椅子に腰かけ、当時に思いを馳せた。
休息のあとは、伊勢志摩スカイラインをひた走り、

霊峰・朝熊山へ。

「あさくまやま」ではなく、「あさまやま」。
アイヌ語で、「日が出てキラキラと輝く様子」を意味するそうだ。
この地で朝日を遥拝することが、天照大神を崇拝する信仰が生まれたきっかけにもなったという。

金剛證寺。

弘法大師に所以のある、金剛證寺。
豊かに水をたたえた池は、その昔弘法大師が掘ったと伝承される。
しかし「奥の院」へは、我々は行くことができなかった。
極楽門をくぐり抜けたところで、なぜか歩みが止まってしまったのだ。
「まだ行くな。まだ来るな。」
天に突き刺さるほど高くそびえる卒塔婆に、そんなようなことを言われた気がして、我々は踵を返した。

とっぷりと暮れた帰路、松阪へ立ち寄り、温泉施設「熊野の郷」で旅の疲れを癒した。

源泉の風呂は地下1300mから汲みあげた天然温泉。
泉質は弱アルカリ性で、さらりとした肌触り。肌をしっとりと撫でていく。
…などと確かめていると、髪に滑るひと雫が夜風にひらりと揺れたので、
思わず肩を湯に沈めた。
伊勢・二見ヶ浦で見た風景と、そこに息づくもの。
かたや賑やかに、かたや静かに。
ひとつの時代が終わってゆくのを、それぞれが見つめている。
Photo:荻野哲生・光田さやか
Text:光田さやか
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