主要道・今昔物語。新名神高速道路と土山宿

ヒト・モノ・コトが往来。主要道の今と昔。

2019年3月17日(日)、新名神高速道路の新四日市JCT~亀山西JCTが開通。
従来の高速道路に沿うように大きな交通の主軸が2本になり、ダブルネットワークが形成された。関東・中部圏から関西圏へのアクセスを良好にするだけでなく、災害や事故による通行止め・渋滞が起きた場合でも車の流れを移動させられる、といった効果も見込まれているという。

NEXCO中日本HPより抜粋

亀山のあたりをリサーチしていると、旧東海道の宿場町があることがわかった。「土山宿」といって、多くの旅籠屋の跡地が保護されているようだ。
旧東海道。歴史の授業で習った、歌川広重の「東海道五十三次」があまりにも有名だ。
京へ、江戸へと行き来した先人たち。
今と昔では「道」の上でどんな違いがあったのだろうか。

真新しいコンクリートの上をするすると走り、我々は一路、滋賀県甲賀市・土山宿を目指した。

四日市―亀山間の開通にあたりオープンした、鈴鹿PAが人気だというので立ち寄ることに。

このPA、「PIT SUZUKA」という愛称があるという。人だかりの先には本物のレーシングカーがお目見えしていた。大人の男性が熱心にスマホを向け、感嘆の声とシャッター音があちこちから聞こえた。
三重県の物産品やご当地メニューが豊富にそろい、多くの人でにぎわっていた。

四日市トンテキに、鈴鹿の墨味噌ラーメン。
豚バラ肉を特製ダレに絡めた四日市名物のトンテキ。直火で焼いてじゅくじゅくと音を立てているところにドボンと漬け込むのだから、そのおいしさは語るに及ばない。滴る肉汁さえもったいないと思ってしまうほどだ。
墨味噌ラーメンは、鈴鹿の伝統工芸である墨を配合した、こってりとした味噌ラーメン。墨の上品な香りと味噌の濃厚な香りが湯気にただよい、いただく前から食欲中枢を刺激した。
サービスエリアのグルメはどうしてこうも食が進んでしまうのだろうか。

かくして、土山宿に到着。東海道五十三次の49番目の宿場だそうだ。
高さのそろった日本家屋が、全長約5kmにわたりずらりと立ち並んでいる。いわゆる観光地としての様相はそれほどなく、今なお住民たちが穏やかに生活を営んでいた。

右を見ても左を見ても、旅籠屋ばかりだった。宿場町だから当然と言えば当然である。
当時の旅人になった気持ちでここに立つと、安堵のため息、草履の擦れる足音、客引きの声までもが聞こえてくるようだった。

   

   

甍の波が、実に美しかった。

   

「ぜんざい」「あんみつ」という、私の好きな四文字を発見。
思わず、趣のある暖簾をくぐる。店の人は…見当たらない。
静かな店内には民芸品や和雑貨が行儀よく並んでおり、時計の振り子がふわふわと揺れていた。
しばらくするとご婦人が現れ、奥の茶房へと案内してくれた。

時が止まったような、という表現が実に適切だ。
通りを歩いていた時は逆に、時の流れを感じていたというのに。

白玉が贅沢に5個も浮いているぜんざい。汁自体はすこしさらりとしていて、喉をストンと下っていった。思わず息をつく。

「今日はどちらからみえました?」。やさしい口調で店主が言う。我々は、一瞬逡巡したのち「愛知県の大府市です」と答えてみる。東海三県以外でこの市の名前を出すとき、相手の頭上にクエスチョンマークが浮かぶのをよく目の当たりにするからだ。
しかし、「ああ!大府市ですか。有松の近くの。知多の方からみえたんですね。遠いところからわざわざ、大変でしたね」とのお返事。
滋賀県の茶房の店主が大府市をご存じなことに驚きを隠せない。するとその表情を見透かすように、店主は続ける。
「土山の生まれなもんで。東海道にまつわる土地には、ちょっと詳しくてね」。

聞けば、ここ「うかい家」は築190年の両替商の旧家を改築しているという。
なるほど。どうりで柱や天井のそこかしこに歴史を感じるはずだ。今でも東海道を巡る旅人たちが多く立ち寄る場所なのだそうだ。テーブルに置いてある雑記帳をパラパラと広げてみると、ずいぶんと遠くの県から訪れた人もいた。
もちろん、ご主人も無類の“東海道ツウ”。 「東海道検定」なる問題集を見せていただいたときは、そのあまりの難しさに吃驚してしまった。
昔の旅人たちも、こんなふうに体を休め、店主と故郷の話をし、ひとときを過ごしたのだろうか。

この地を訪れた誰かが推奨する、「鴨せいろ」も食べてみたいものだ。

夜は、菰野にある「アクアイグニス」の温泉で体を温める。
旅の締めくくりは、やはりその土地の湯に浸かるに限る。

地下1200mからくみ上げた源泉を、贅沢にかけ流し。肌をコーティングしてくれるような、まったりとしたぬめりを感じられる。
竹林が茂る露天風呂へと体を移せば、湯煙にぼやける明かりが竹の合間から漏れて、何とも幻想的だった。

ふと頭を上げると、頭上には新名神高速道路が視界を横断していた。藍色の画用紙に、筆で勢いよく白の絵具を走らせたように、スタイリッシュに。
私たちはその白い無機質な道の上を、一瞬で走り抜き、この地を踏んだのだ。
何十日、何百日と、先人たちが命を賭して歩いた道を一瞬で、というのだから、彼らが知ったらきっと驚くに違いない。
湯を掬いながら、改めてこの度のテーマを思い返してみる。
今と昔では「道」の上でどんな違いがあったのか。
…なんの違いもないような気がした。

これから赴く地へ気持ちを高ぶらせ、
途中、地のものに舌鼓を打ち、
故郷を懐古し、
体を休めて一日の旅を振り返る。

ほら、やっぱり同じなのだ。

今も昔も、ヒト・モノ・コトが往来する道の上。
私はどこの誰に、なにを届けることができるだろう。

Photo:荻野哲生
Text:光田さやか

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