人生のターニングポイントについて考えてみる。
いつだったか、なにがきっかけだったか、なぜその選択をしたのか。
そこに明確な理由が存在する場合もあれば、「なんとなく直感で」選んできた人もいるだろう。
愛知県瀬戸市ののどかな商店街で、ヴィーガンダイニング『様時-SAMATIME-』を営む、石川哲也さん。以前は肉も魚も出すダイニングバーだったが、とあるきっかけで、2019年5月1日、つまり令和になった初日から同店をヴィーガンスタイルに切り替えた。「当店の料理は、すべて偽物です!」。そんな大胆なメッセージをメニュー表に添えて。
「楽しい、面白いと感じるほうへ、人は動くんじゃないかなって思うんです」と、石川さんは話す。この店の料理もやはり堅苦しくなく、「楽しい、面白い」という言葉がしっくりくる。見て食べてびっくりする。いい意味で裏切られるのだ。
それはまさに、石川さんのアイデンティティを表す言葉そのもの。
「どんなピンチが起きても、それはチャンスなんです。そしてそのあとには必ず、楽しい・面白いが待っているんですよ」
彼にしかない人生の喜劇を、聞かせてもらった。
とにかく目立ちたい!一歩を踏み出すのに勇気は要らない。
食事を堪能した最後の客を見送ると、石川さんは「さて、どこから話そうかな~」と笑って椅子に腰かけた。「僕いろいろやってきたよ(笑)」。それはなんとなくだが、わかる気がする。
ややあって石川さんは、幼少期から「変わった人」だと言われることがうれしかった、と話し始めた。家族やクラスメイトの前で芸や面白いことをすると、みんなが笑顔になるのがうれしかった。「なにかと目立ちたがり屋で。なんでも主役になりたかったんだよね」と笑いながら幼少期を振り返った。
やがて社会人になり、石川さんはグラフィックデザイナーの職に就いた。会社員として安定した収入と潤沢な案件はあったものの、心の中ではなにか物足りなさを感じていたという。
「面白いこと、変わったことやりたいな、ってずっと思っていました。でもそれがなんなのか、何をしたいのかもわからずに、ずっと悶々としていました」
ある日、石川さんが休みを利用してアメリカのニューヨークに行ったときのことだ。賑やかな雑踏の中に、スパイダーマンに扮した男性が立っていた。お世辞にもクオリティが高いとはいえないコスチュームだったが、彼は街行く人や観光客に写真撮影をねだられ、お礼にチップをもらっていたのだという。それを見た石川さんは「あんなのでお金が稼げるのか!」と思ったという。
「だってすごいクオリティが低いんだもの(笑)。でも彼は堂々としてた。衣装のクオリティの高い低いではなく、目の前の人を喜ばせたい、楽しませたいという気持ちが伝わってきたんです。で、僕もやってみようって」
思わずきょとんとしてしまった。僕も、やってみる?スパイダーマンを?
帰国後、石川さんは全身を計測しスパイダーマンスーツを特注でオーダーした。ニューヨークで見たものとは格段に比べ物にならないほどのクオリティを目指した。靴や目の部分、細部の文様の装飾にいたるまで、やるなら手を抜きたくなかった。
完成したスパイダーマンスーツを鞄に忍ばせた石川さんは、名古屋屈指の繁華街・栄のトイレの個室にいた。着替えを済ませたその姿は、どこからどう見てもスパイダーマンそのものだ。すれ違っても、近くでまじまじと見たとしても、誰も石川さんだとは気づかないほどに。
ただ、この姿で個室から出るのには、やはりかなりの勇気が必要だった。それもそうである。コスプレイベントでもハロウィンでもない、普通の日。普通の日に、彼だけは、普通でなかった。
「くそー、勇気が出ないな。って、ずっと個室から一歩が踏み出せなくて悔しくて。それでふと思ったんです。あれ?勇気なんて邪魔なだけじゃない?って。勇気が要ると思うから、怖くなる。だったら、勇気要らないじゃんって。ただなにも考えず、ここから一歩でて、あとは手と足を交互に動かすだけでいいんだって。そう考えたら、なんだかふっと楽になって。気づいたら栄の街を闊歩していました」
石川さん(スパイダーマン)は、ネオンの瞬く栄の街を、堂々と肩で風を切って歩いた。道行く人が振り返っていたような気もするが、意外にも話しかけられたり絡まれたりすることはなかった。
いつもの夜が、全く違って見えた。
<第2回>へ続く
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