生粋人

<第1回>僕を突き動かすのは、“直感”。境界線の、先にあるもの。 ――音楽家・太田豊

富山県の冬は厳しい。息の白さを視覚で感じる私を見ながら、「こんなの、富山じゃまだまだ暖かい方だよ」と太田豊さんはカラリと笑う。「雪で家から出られなくて学校行けません、とかあったもんな。昔は」。

源平合戦の一つ「俱利伽羅峠の戦い」の謂れが残る地に生まれ育ち、この寒さと山々の雄大さを感じながら育ったという太田さん。その後東京、ヨーロッパへも行ったが、今はまた、故郷の富山に腰を据えている。

どの土地にいても、彼の手には龍笛(りゅうてき)と、そしてセルマーのサックスがあった。

「こちらがつられて笑顔になってしまう人」。太田さんにはそんな言葉がぴったりだ、と思った。だからこそ、楽しそうに笑うその背景と、瞬間に見せる遠い瞳の奥が気になって、彼の人生の音色をゆっくりと聴かせてもらうことにした。

太田豊・14歳。心臓を撃ち抜かれた、サックスとの出会い。

彼の人生を聞くうえでは、二つの楽器が欠かせない。先述した、「龍笛」と「サックス」だ。この、一見対照的ともいえる二つだが、そのうちの一つ、まずはサックスとのなれそめを紐解いていこうと思う。

太田さんは、自身を「とてもあまのじゃくな性格だ」と話す。素直になるなんて裸で走るほうがまだましだね、と言って場を和ませてくれた。

そんな太田少年が、楽器にふれる発端となったのには、それを象徴するようなエピソードがあった。

「中学のときの部活希望調査で、僕は第三希望まで運動部で記入したんだけど、第四希望で文化系の部活から一つ選択しなきゃいけなくて。それで、当時男子ができそうな部活…ということで、まあ、吹奏楽部かなあ、という感じで書いた。そしたら、なんと第四希望が採用されることになってしまった(笑)

第三希望まで書いたのになぜ運動部ではないのかと先生に抗議したそうだが、あっけなく却下。チューバやトランペットに男手が足りない、と言われ泣く泣く入部することに。しかし選んだ楽器は、チューバでもトランペットでもなく、正反対の性質を持つ「ピッコロ」。フルートを小型にした、小鳥のように高い音色の木管楽器である。先生がやってほしいと頼んだ楽器を素直にやる気になれなかったと、当時の“若気の至り”を笑いながら振り返る。

「そんなこんなで始めた吹奏楽だったけど、音楽は昔から好きだった。しかも親族には生粋のオーディオマニアや、レコードやラジオでジャズを聴く人、ライブで生の演奏を楽しむ人がいて。僕も自然とジャズの道に興味を示し、次第にのめり込むようになった

初めて「チュニジアの夜」を聴いた時の衝撃が忘れられないという。アッパーなビートに揺さぶられる、甘美でエキゾチックな旋律。中でも、華やかで渋いサックスの音色には、まるで心が撃ち抜かれたようだった。
聴くのではなく、自分は演奏がしたいんだ、と直感した太田さんは、高校でも吹奏楽部に入部。サックスを希望し、その後は独学でジャズを学んだ。幾度となくライブに足を運び、ありのままを感じた。

そして、ある思いを胸に、富山を経つことを決めた。18歳のことだった。

第2回>へ続く

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP