生粋人

<第2回>“知的タフネス”のススメ。他人任せにしなくなる思考力。「スノーフレイク・コンサルティング」中島正博

コピーライティング、コーチング、マーケティング。強みを磨いた会社員時代。

言葉をロジカルに捉える「哲学」という学問に打ち込んだ中島さん。大学生時代にバーでアルバイトを始めたことで、その理解のベクトルがまた少し方向を変える。

「大学3、4年生のころ、週末の夜から明け方という時間帯でバーでアルバイトをしていました。若者が集まるようなところではなく、アッパー層の方々が集うような、ちょっとオーセンティックな雰囲気の。そこでバーテンダーをしながら、いろいろな大人に仕事の話や経営の面白さなどを聞かせてもらっていました」

そこで中島さんが気づいたこと。それは、ロジカルだけではうまくいかない「対話の妙」だ。
ほんのりとお酒も入り、ムーディな空間でやりとりを交わすハイクラスな大人たちは、理論や理屈だけではない柔軟な言葉の行き交いを楽しんでいる。そんな雰囲気や相手に合わせて言葉を選んで話す必要があるのだと、中島さんは学んだのだ。

気持ちに寄り添い、雰囲気に合わせた言葉の運用。「理屈じゃなくて、気持ちの機微を読み取れるようになれよ」と、冗談めかした口調でマスターに言われたと、中島さんはくしゃっと笑ってみせた。

やがて就職活動を始めることとなる。言葉の力が人を動かすことの面白さを追求したいと、大手広告代理店を中心に進路を開拓した。そんな中のとある1社、中島さんは個性的な会社と出会う。

「東京に本社があるP社という会社だったんですが、ちょうど名古屋に拠点を出すタイミングでした。そこは仕事に対する考え方がすごくユニークで、オフィスの中にバーカウンターがあったり、クリエイティブな仕事に対してロジカルでストイックだったり。自分の得意分野が活かせるかもしれない、言葉の仕掛けを使って楽しく仕事ができそうだと感じたんです」

時を同じくして、もう1社最終面接にまで残った企業があった。当時“仕掛ける百貨店”としてのイメージが強く、従来にないイベントや企画に積極的だった「ジェイアール東海髙島屋」だ。
接客や販売がしたかったわけではなかったが、優れた商品を取り扱う百貨店でならば広告・宣伝の仕事も楽しくできるであろうことは明確だった。

結局、就職先は縁のあった後者に。婦人服売り場での経験を経て、憧れだった広告宣伝の職に就いた。
そこで忘れられない出来事があったという。

「タカシマヤの広告職といっても、自社にデザイナーやコピーライターがいるわけではないので、外部の専門家とやりとりをしたり、動きを把握したりする『トラフィッカー』という役割をしていました。どちらかというと僕の中では、自分で言葉を生み出したいというクリエイティブな気持ちもあるにはあったのですが。
そんなある日、頼んでいたコピーライターさんがインフルエンザで休んでしまって、急遽別のコピーライターさんに発注したことがありました。ところが、その人が出してくれたコピーを見たとき、自分のなかでなんかちょっと違うな……と思ってしまって。僕はその人に戻さず、自分で書き換えてしまったんです

その場はことなきを得たものの、後日、インフルエンザから復帰したコピーライターからこう告げられたそうだ。
「こちらも仕事を休んでしまったのは申し訳なかったですし、代わりに書いてくれた方のスキルも、中島さんの基準を満たすものではなかったのだとは思います。けれどやはり、黙って書き換えられるというのは、クリエイターにとってはとても傷つくことなんです」と。

自分の仕事は、コピーライターの代わりに書くことではない。周りが自分の仕事を円滑に進められるようにサポートすることなのだ。
中島さんは、そう痛感した。

どういうふうに情報を整理したら、代打のコピーライターさんにうまく伝えることができたのか。どう動いたら、周りが優れたパフォーマンスをできるのか。どうしたら、一番いいコンディションで打席に立ってもらえるのか……。
言葉を使って人を動かす、ということを僕は履き違えていて。その出来事があってからは、人をうまくサポートすることをより心がけるようになりました」

広告宣伝職について3年が経ちやりがいを感じ始めていたころ、外商部へ異動となる。そこでも3年勤め上げ、その後はブランドジュエリーの売り場でマネージャー職、経理などを経験した。
濃厚だった広告宣伝職での3年に比べると、正直なところ、営業や販売は自分の得意とする仕事ではない、と感じていた。現場に立って直接商品を売るよりも、会社の内部で商品が売れる仕掛けを考える方が好きだったのだ。

加えて、当時の上司とも反りが合わなかった。「お客様や取引先に喜ばれることよりも、上に評価される仕事をしろ」という上司の考えに憤りを感じ、中島さんは次第に自分の働く意味を考え始めるようになった。

「上司も、僕のためを思ってくれたのかもしれませんが、僕自身はあまり出世欲がなくて。それよりは、取引先や社内の他の部署も巻き込んでこういうことができたら面白いだろうな、とか考えていたんです。でも上司は『そんなこと、上が評価しないからやっても意味ないよ』と

出世のため?上司に気に入られるため?自分はなんのために働くのだろうか。
やりたいことをやればやるほど、会社での評価は下がる。会社員である以上、上司に気に入られるような働き方をすることも必要なのかもしれない。働くって、そういうことなのだろうか。

中島さんは考えた。
自分の立場や心情をロジカルに分析し「どんな言葉があれば自分は動くのか」を考え続けた。

そしてある結論に辿り着く。「会社の外に収入源をつくればいいんだ」と。

会社の外で好きなことを仕事にできれば、会社の中で評価されなくても痛くもなんともない。
会社員として上司に「NO」を言いたいのなら、会社の外で「YES」と評価されればいい。
それだけのことではないか。

それからの中島さんは早かった。会社員としてタカシマヤに勤めながら、自分の興味や関心がある講座を片っ端から探し、自費で受講した。コーチング、マーケティング、コピーライティング。がむしゃらに知識と経験を積み、地道に人脈を形成した。本職で経験していた経理の仕事も、副業には大いに役立った。財務の知識があることで、数字からも顧客の業績を読み解くことができたのだ。

そのうち、数人・数社ではあったが顧客が定着。「中島さんに頼みたい」と言われることが、なによりもうれしかった。
やがて収入も、会社員と同等くらいは見込めるように。向こう30年会社員として働き続けるよりは、この数年で培った力をもっと伸ばしたかった。
私生活では、子どもが産まれたことも大きな励みになった。やりたくない仕事を嫌々やる背中を、子どもに見せたくなかった。

こうして2020年の春、中島さんは12年勤めたジェイアール東海髙島屋を退職。

言葉の力、ロジカルな思考、仕事のやりがい。それらの大切さを誰よりも知っている、強く優しいマーケターが誕生した。

<最終回>へ続く

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