生粋人

<第1回>“干渉、影響、新結合”。人と技術と素材が織りなす「MOARE」の照明。「柿下木材工業所」柿下孝司

「照明器具」は、「切り替えのアイテム」だ。

暗と明。不安と安心。昼と夜。活動と休息。過去と現在。

私たちは明かりをつけたり消したりすることで、さまざまな二者の間を、自在に行き来しているのだと思う。

岐阜県高山市で木製照明器具を製造・販売している「柿下木材工業所」がある。
自社ブランドである「MOARE(モアレ)」は、その見た目のデザイン性もさることながら、そばにあるだけで感じられる心地よさや、あたたかな手触り、高山の木がつくり出す穏やかな風合いが特徴。

和洋を問わず、寝室やダイニング、リビング、間接照明など、どんな用途においても暮らしのなかによく馴染み、国内外問わず多くのファンを持つ。

照明って、ないと困るのに、あるのが当たり前ですよね。だからこそ、長く使えて飽きのこない、いつでもそばに置いておきたくなるものを提供したいです」と話すのは、柿下木材工業所で代表を務める柿下孝司さん。この地で育ち、祖父が創業した同社を継いで3代目になる。そんな柿下さんに、土地に根ざして歩んできた自社の歴史や、転機となった出来事、「MOARE」のコンセプトについて幅広く伺った。

ミシン台からスタートした事業。素材と技術で自社の強みを確立。

削りたての木の香り。行き場を無くして宙をさまよう細やかな繊維たちが、工場に差し込む光にきらきらと照らされている。
職人さんの賑やかな話し声や作業の音が聞こえるこの日常の中で、柿下さんは育った。

「この会社は、1957年に僕の祖父が創業しました。当時、まだこういった照明器具は製造していなくて、大きな木をかつらむきにしてスライスし、ベニヤ板を貼り付ける『特殊単板(たんぱん)合板製造』という仕事で、足踏みのミシンの台を作るところから始まったと聞いています」

その際、ただ貼り付けるのではなく、繊維の向きがクロス状に重なるようにしていたという。そうすることで、強度も保たれ、しなりにともなう“狂い”が軽減されるのだそうだ。
高速道路や国道が整備される以前は、高山は交通の便がいいとは言えない土地だった。そのため、そういったこだわりを付加価値とすることで、「丈夫で長持ちするミシン台といえば、高山の柿下木材工業所」というブランドを高めていったのだ。関西方面へのルートが開けていたこともあり、卸先はほとんどが関西の会社だった。

そんな背景もあり、工場では大人たちが日々ミシン台の製造に追われていた。作っては出し、出せばまた新たに注文が入る。
柿下さんは子どものころから工場に顔を出しては、端材で遊んだりダンボールで迷路をつくったりしながら、一途にものづくりに勤しむ家族たちの背中を見て育った。そんな子どもを、大人も邪魔に思うこともなかったし、子どもも仕事の邪魔になるようなことはしなかった。それが、「家業」と「家庭」の両立がかなっていた、古き良き昭和の一時代だった。

ミシン台が軌道に乗ってきたころ、照明部品の製造も始めるようになりました。このあたりでよく育っていたカラマツという木を材料にして、シャンデリアのパーツを作り始めたんです。当時は『奢侈税(しゃしぜい)』といって、高価な品物には特別な税金がかかる制度がありました。その流れから、電化製品メーカーの大手・松下電器の『ナショナル』がシャンデリアを自由に組み替えできるオプションパーツを展開するようになり、その部品をうちが作っていたんです

柿下木材工業所がシャンデリアの部品を作り始めた1970年当時のもの。家具の脚の製造技術や、お椀などに使われていた春慶塗と呼ばれる技術を活かすなど、高山ならではのこだわりを詰め込んで多くの部品が造られた。

照明器具そのものの製造に比べ、パーツは一度に多くを梱包して納品できることもあり、生産面でもパフォーマンスが良かった。また、「家具の産地・高山」「飛騨の匠」といった言葉も一人歩きしてくれ、ブランドを下支えする大きな強みとなっていた。
地元に根ざした家具づくりの技術、飛騨の木の丈夫さ、そして塗りの美しさ。
当時の照明器具となると、建具メーカーが技術を応用して作るのが主流だったが、柿下木材工業所ではこれらの強みを活かすことができたため、当時珍しかったデザイン性の高いパーツを大量に作ることができたのだ。材料の調達から生産、発送までを自社でワンストップ対応できたことも、大きなメリットだった。

「ちょうどそのころ、祖父が『透かし杢(もく)』という技術を開発しました。杉の突板にサンドブラスト処理を施し、木目を残したままいろいろな模様を彫るんです。明かりを照らすと、木目の美しさはそのままにやさしい光が漏れてきます。これもナショナルに採用されて、爆発的に売れたそうです。当時は全国放送のCMでも用いられていたので、その影響もあったと思います」

その後、柿下木材工業所は、シャンデリアのパーツや和風照明器具の木枠など、さまざまな木製照明家具を製造する路線を強めていった。

まさに順風満帆に見えた柿下木材工業所の事業。
しかし事態は、「ある一夜」を境に急展開を見せるのだった。

<第2回>へ続く

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP