家族の単位を“地域”に広げる。中と外がつながる「奥松阪」。
松阪市の地域おこし協力隊として、高杉さんが最初に行ったことはなんだろうか。
地域の問題点を探して回ることでも、魅力を外に向けて発信することでもない。それは、地域に馴染むために時間と金を使うことだった。
「外から来た人に、いきなり自分の住んでいる土地の悪いところを言われても嫌ですよね。客観的に見て、ここをこうしたらもっとよくなるのにと思っても、実際に住んでいる人から実情を聞いたら、そうならざるを得ない状況なのかもしれない。この街をどうにかしたい、という志を持って移住を決意する人も多いと思いますが、外から来た自分一人では絶対にできないんです。必ず、土地の人の協力が必要です。
そういう人たちに、まずはこの土地に仲間入りすることを歓迎してもらう。そのために時間やお金といった資源を使うようにしました。そうでないと、彼らと一緒に何かをする権利はない。地域の話をする土台にも上がれない。まずは当事者になるために、ここの方たちがしてきたことを、同じように見られるようになりたいと思ったんです」
その土地の人として受け入れられ、人や風景に溶け込みながら暮らす。そうしていくうちに見えてくる“自分たちの暮らし”をよくする方法を、あくまで個人的に考えているだけなのだ。高杉さんにとって家族は、“家の中”だけではなく“地域”そのもの。誰かのためにでも、誰かに頼まれたことをやるのでもない。自分のために、自分を含めた“地域”という家族のために、自分で考えたことを行っているのだった。
「街づくりって、本当は自分のためにやることなんじゃないかな。自分の暮らしを自分でよくすることなんて、普通ですもんね。だから高い志も、強い思いも、もしかしたら最初は必要ないのかもしれません。僕たちが考えなければいけないのは、今の生活と、将来の生活。今ある問題だけを見てそこを解決するのではなく、長い目で見て、長く住みやすくしていけるように手をかけていくこと。それが僕にとっての“街づくり”のあり方ですね」
そんな高杉さんは、縁あって見つけたこの場所に、誰もが集まれる地域の居場所として「奥松阪」の開業を決めた。地域の人が、自分たちの暮らしをより良くするために、自分たちができることで力を合わせている。
この活動は、地元の高校生たちとも積極的に関わりながら進めているという。理由は簡単、“家族”として子どもの面倒を見るのは親の務めだからだ。さまざまな大人と関わった子どもたちが、一度は街を出ても、将来的に街のことや街に住む自分たちのことを気にかけてくれることもまた、“家族”ならば起こりうることだろう。
また、この活動に興味を持ったとして、同じ三重県の桑名市から単身移住を決めて社員になってくれた人もいるそうだ。こうして、“家族”が増えていくことが、高杉さんはなによりもうれしい。
「奥松阪」では、ちょっとした休憩所としてはもちろん、食事も喫茶も、宿泊や農業体験もできるようにするという。高杉さんの言葉を借りて、地域を家だと例えるならば、「奥松阪」はリビングであり、ダイニングであり、ベッドルームでもあり、はたまたガレージや庭でもあり、職場でもあるのかもしれない。地元の人でもそうでなくても、誰でも利用でき、使う人が使い方を決める場所として、2023年1月上旬の開業を目指している。
この「奥松阪」という名前は、高杉さんがこの街に来てみて感じた違和感から、着想を得ているという。
「このあたりの方たちは、みんな市街地へ行くことを『松阪へ行く』と言うんですよね。ここも同じ松阪市内なのに、と思って違和感があったんです。背景を調べてみると、この土地はかつて市町村合併をしていて、飯高とか飯南、香肌峡など、さまざまな呼び名で呼ばれていたことがわかりました。もしかしたら、外の人から見たら、ここも松阪市の一部だとはわからないのかもしれないなって。だったら新しくできるこの場所を、外から来る人と地元の人がつながる場として、松阪市の一部、田舎の方の松阪という意味を込めて『奥松阪』という名前で呼ぼうと思ったんです。
僕がいなくなっても、ここに暮らす人が何十年も呼び続けていたら、もしかしたら地名になるかもしれないな、なんて思っています」
かつての和歌山街道や珍布峠を往来した旅人たちが、茶屋に立ち寄って束の間の休憩をしたように、地元の味に舌鼓を打ったように。何百年の時代を経て、ここがまた新たな交わりの場所として誕生する日は近い。
家族は、地域。街が、家。
そんな考え方に染まれることは、なんと素晴らしいことなのだろうか。
高杉さんはこれからも、自分の住む街を、当たり前のように、自分の視点でよくしていくという。あくまで本人に「僕がこの街をよくしてやろう」という意識は毛頭ない。「地域おこし協力隊」の肩書きがあろうがなかろうが、自分の住む家を自分でよくするだけなのだから、当然といえば当然だ。
そして高杉さんは、幼少期から変わることなく、常に自分の人生の終わりを意識している。限られた時間をどう使うか、どこでどのように、なんのために使うか。そうすれば何事にも迷ってなどいられないのだ。
「生きていると、仕事や家庭、人間関係なんかで『こうなったら嫌だな』『このままじゃダメだな』っていう漠然とした不安を感じるときがあるじゃないですか。僕にとっては、多分その時が、もう変わるタイミングなんですよね。だからどこにいて何をしていようと、そういう感覚には敏感でいたいです。この先、万が一路頭に迷って、不本意な仕事や生活をしなくてはならないのなら、今体が思い通りに動くうちにやっておきたい。決断が早いとよく言われますが、不安なことを長く考えていたくないだけなんです。松阪へ移住って聞くとなんだか大掛かりな感じもしますが、言ったら“引っ越し”ですからね。不安もなにも、引っ越し屋に電話一本するだけで解決できるんですから。あとはやるだけなので、気持ちはあとからついてきますよ」
流れるように、溶け込むように生きる。
しなやかな選択の連続で生きてきた一人の男性の姿を、高い空の鳥が素知らぬ顔で俯瞰していた。
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