生粋人

<第1回>“三浦和也”という男。――三浦太鼓店・六代目三浦彌市

初対面の打ち合わせから二か月。本取材から一か月が経とうとしている今日、この記事を書いている。彼のことを、どう紹介できるだろうか。うまく、伝えられるだろうか。迷い、葛藤するが、私の手はタイピングを止めない。



彼の名は、三浦和也。江戸時代から続く太鼓店の六代目だ。
痩身長躯の優男。耳にピアス。何気なく組んだ足が、丈を持て余しているようで、膝と膝の間で三角形を作っている。悠然な口調。くしゃっとした笑顔。
ただその様子を見ただけでは、「太鼓職人」と言われても、なんだかピンとこないかもしれない。
しかし、彼の背負うものは大きい。
抱えるものも、見えているものも、大きい。
思いも強い。友人も多い。信頼も厚い。
彼とともに働く仲間が、口をそろえて言う。
「三浦和也だから、一緒に仕事がしたかった」と。

そんな、“三浦和也”という男。私はどこまで紹介し、どれだけ伝えられるだろうか。
キーワードごとに紐解いていこうと思う。

キーワードその1.太鼓の魅力。

三浦さんは、太鼓に魅力を感じている。
太鼓の音そのものだけでなく、歴史、伝統、用途、そして太鼓にかかわるすべての人の思いにも、魅力を感じている。
「昔は、太鼓といえば祭りのときくらいしか出番がない楽器でした。うちの五代目(和也さんのお父さん)は、平日にサラリーマンをしながら、土日で太鼓を作る生活をしていたんです。
二重生活で大変なところを見て、僕は育ちました。でも今思えば、父が土日で作って間に合うような…太鼓ってそのくらいの需要だったんですよね。世間では

近年になり、「和楽器」を扱う音楽ジャンルや創作和太鼓などの隆盛により、太鼓演者が増加。神事としての太鼓が、“魅せる”太鼓に変わっていったという。

「いろいろな人と出会って、影響を受けて、思いを授かって。
何百年も前から伝わる楽器に、現代らしさを加えて、“今求められる太鼓”を作る。そして太鼓の魅力を後世に伝える。それが僕のするべきことかなと思っています

三浦さんがこの考えに至るまでには、複雑な経緯がある。
実は彼は、最初から六代目を襲名するつもりではなかった。
だから、なんとなく企業へ就職。しかしなんとなく辞めて、なんとなく五代目の手伝いをした。太鼓を演奏したことすらもなかったが、それこそ「名のある家に生まれた者」の宿命なんだろうなあ、というくらいの、ざっくりとした感覚で。
しかし、「このままでいいのか?」と、将来への不安がふとよぎる。

ともあれ、まずは太鼓を叩いてみることにした。
“演奏したこともない太鼓職人なんて、情けないだろ?”
自分の中の自分が、そう言った気がした。

…楽しかった。自分でもチームを結成してしまうほど、のめりこんだ。

太鼓を作るときにも、自分の中でこれまでとは明確な変化が生まれていることに気が付いたという。
それはきっと、自分で演奏することで得た楽しさや、文化を伝承してきた先人たちの技術、受け継いだ思い…。それらが総合的な土台となっているから。
だからこそ、太鼓の持つ魅力は深い。そしてそれを、今度は伝える側になりたい。先述した思いが、三浦さんの胸の内にしっかりと焼き付いた。

では、それをどのように実行しているのだろうか?
現在の三浦さんの主な活動を、ご紹介していこう。

第2回に続く>

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