生粋人

<第3回>ピンチの時こそ、チャンスはある。僕が”変化”を楽しむ理由。「様時」石川哲也

「しゃちほこボーイズ」爆誕。流れに身を任せた怒涛の活動期間。

スパイダーマンに扮してフリーキスの活動をする「チュパイダーマン」を続けていた石川さん。ネットのコミュニティーが今ほど普及していなかったとはいえ、これだけのことを一人で続けていればいくらか有名にもなる。
当時流行った「mixi」のグループで、石川さんを見つけて「会ってみたいです」とメッセージを送ってきた人がいたそうだ。別段断る理由もなく、二つ返事で、近所のファミレスで初対面を果たした。

「彼は大手広告代理店に勤めるエリートで、東京、大阪ときて名古屋に転勤になったそうです。そこで、自分が引っ越す予定の住所のコミュニティーをmixiで検索したら、なんだかすごく変わった人がいるぞと。このグループの中で一番変わっていそうな人に会いに行こうと決めてたんですって。それが僕のことなんですけどね。それよりなにより、初対面からずっと彼は、金色の全身タイツを着て、たい焼きみたいなしゃちほこのかぶり物をしたままでした。その理由もなんだかおかしくて、僕らはすぐに意気投合しました」

聞けばしゃちほこスーツは、彼の上司が送別会で餞別にと持たせてくれたものらしい。「名古屋に行くんなら、しゃちほこだよな!」という安直な、しかしあながち間違いでもない一言とともに渡されたその宴会用のコスチュームを、彼はなんとその場で着替え、大阪から着たまま新幹線に乗ってきたのだという。
そしてmixiで石川さんを見つけ、そのままの服装で会いに来たというわけだった。

その日スパイダーマンとしてクラブに行く予定だった石川さんは、出会ったばかりのしゃちほこの男性も連れて行った。二度三度とこだわりを盛り込んで改良を繰り返した、限りなく純度の高いスパイダーマンと、激安の殿堂で調達されたしゃちほこスーツの男性は、クラブで最高に楽しいひと時を過ごした。

それを機に、2人はことあるごとにこの格好で待ち合わせをしては夜の街へと繰り出した。

しかしここで、石川さんの心に不穏が立ち込める。一緒に出掛けても、女性はみんなしゃちほこの方ばかりに声をかけるのだ。まんざらでもなさそうに、しゃちほこが写真撮影に応じたり、スキンシップを楽しんだりしている一方、石川さんはというと、高すぎるクオリティのせいですんなりと顔も出せない。これはまずい。相方だけモテている!

「それから、スパイダーマン不自由だなって気づいて(笑)。僕もしゃちほこになろうと思って、すぐに衣装を用意しました。そこへ、気の合うカメラマンも1名追加して、2011年に晴れて名古屋に3人のしゃちほこ男子が誕生したわけです」

その名を、「しゃちほこボーイズ」。広告代理店の彼が1号、石川さんは2号。続けて加入したカメラマンは3号と名乗った。

しゃちほこボーイズのコンセプトは、たったひとつ。「見る人が笑ってくれるような活動」をすることだった。
そしてボーイズの一員たるもの、普段からしゃちほこスーツを着用することも定めた。彼らにとってスーツはただの衣装ではない。あくまで生活の一部。そして己の一部なのである。

石川さんがしゃちほこボーイズの活動をするようになって、心の中で確実になっていったもの。それは「自分を思い切って変えてみたい」という思いだった。

「これまで、変わったこと、おもしろいことをしたい、という思いはずっとありましたが、しゃちほこボーイズになって仲間と楽しいことをいろいろ計画するようになって、いよいよ会社を辞める決心がついたんです」

スパイダーマンから始まった、もとい、遡れば幼少期から持っていた「目立つ」という成功体験。枯れ果てるような悲しみの末、ピンチの中にしかチャンスは訪れない、とさえ思うようになった石川さんにとって、人生のピンチとチャンス、そしてそのあとに続く楽しい出来事を、会社員ではない状態で見出したくなったのだ。

その後のしゃちほこボーイズは、すごかった。2012年、名古屋めし居酒屋「しゃちほこ屋」のオープンを皮切りに、メンバーも次々に増え、多い時で300名を超す大所帯になった。CDデビューはもちろんテレビにも出演、ZeppNAGOYAでライブも開催した。名古屋だけでなく県内外のイベントにもひっぱりだこ。募金やボランティア、企業とのコラボも数えきれないほどおこなった。それぞれが「楽しい、面白い」と思う企画を持ち寄っては、それぞれが実行した。

Zepp Nagoyaでのコンサートの様子
ピザチェーン店とのコラボCM

「舞台に立ちたい、笑わせたい、芸をやりたい。そんなことをもう全部実行できて。飛び抜けて成功しちゃっていましたね。街中でももちろん普段からこの格好なので、相当チヤホヤされたし、芸能人の体験をさせてもらっていました。とても楽しい活動でしたよ」

とはいえ、300名もいる大所帯ではまとめあげるのに苦労した。良くも悪くもそれぞれが活動していったことで、初期メンバーである1号や2号(石川さん)も知らない部分が出てきてしまっていたという。
やがて、活動は下火に。空中分解、という言葉がしっくりきた。

しかし、石川さんの人生に退屈は訪れない。
それもそのはずだ。彼の理論を応用するならば、彼の根底に「変わりたい、なにかを始めたい」という思いがある以上、それはきっと自らピンチを招く準備をしているはずなのだから。

<第4回>へ続く

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP