「白くて、つやつやしたお肌の方だな」。それが彼女に抱いた第一印象。そして目が合ったときの笑顔のなんとかわいらしいこと。まもなく米寿を迎えられるとは思えないほど矍鑠(かくしゃく)とした佇まいは、見ているだけでこちらも自然と姿勢を正したくなる。

「おふくろのね、身なりのだらしないところを見たことがないですよ」

息子である水鳥一(みずとりはじめ)さんは言う。
人生の大先輩である彼女もまた、時代の荒波に飲まれながらも、長く強くたくましく、今を生きる人だった。

終戦、引き揚げ。諦めきれなかった夢。

第二次世界大戦が終結したのは、和枝さんが12歳の頃。戦後の混沌とした情勢で食うや食わずの日々が続く中、すぐに勤め先が見つかったのは不幸中の幸いだったと話す。

「満州から引き揚げてきて、その足で職業安定所に行ったらね、すごい列だったんだけれど、運がいいことにすぐに仕事が決まって。豊田の挙母にある製糸場に、しかも住み込みで。家族とは離れ離れになってしまったけれど、当時は生きるために必死だったから二つ返事で働きに行ったわ

明治時代から続く、豊田市では名のある企業「加茂製糸所」。次の日にはもう地下足袋にズボンといういで立ちで、工場に立っていたそうだ。昔から母親に「あんたは戌年生まれだから、食うのには一生困らない。落ちているもの拾ってでも生き延びる星のもとに生まれているから、なにがあっても大丈夫よ」と言われたことを、たびたび思い出していたという。

不安はあったが、女子工員たちとも仲良くやれていたし、和枝さんは持ち前の明るさで日々を生き抜いた。賃金のほとんどは、離れて暮らす家族へと仕送りした。

帰る場所がない者や、働き口がない者も当時は大勢いた。「そんな中で私は恵まれているほうだった、お母さんの言ったことは正しかった」と、少女のような微笑みで話してくれた。

製糸場で働き始めて3年が経った。生活にも慣れてきたが、実は和枝さんには心に秘めていた「夢」があった。

それは、美容師になることだった。

「昔からね、人の頭をやってあげるのが好きでね。あんな時代だったからそうも言ってられなかったんだけど、どうしても諦めきれなかったの。それで思い切って、パーマ屋さんで働いてみようって

こうして製糸場を辞め、豊橋市内の美容院で働くことになった和枝さん。自分の手で他人をきれいにしていったり、笑顔で帰っていくお客さんを見たりすると、心からうれしくなったという。前職に引き続き、女性が活躍できる職場というのも、自分にとっては居心地がよかった。

しかしその頃から国の条例が変わり、これまで美容院1店につき免許保持者は1人いればよかったが、働く者全員が美容師免許を持っていなければならなくなってしまった。免許をとるためには美容師学校へと行く必要があるのだが、その制度が施行されるまで残り1年を切っていた。

「これは困った、どうしようって思ったわ(笑)。だって私小学校出ていないんだもの。漢字もまともに書けなかったのよ。だから学校に通わなくちゃいけなくなる前に、どうしても免許を取らなくちゃって。そのときの美容室の店長さんが『和枝ちゃんならできる!がんばってほしい』って応援してくれたこともあって、カタカナで名前を書いて、講習を受けて(笑)。それでなんとか免許を取れたのよ」

和枝さん、当時20歳の大決断だった。
知り合いから譲ってもらった店で店長も経験した。髪にはパーマをあて、美しい洋服に身を包み、自分にも磨きをかけた。多くの同僚に囲まれて、幼いころからの夢を叶えた和枝さんは、順風満帆な生活を送っていた。

出会い、結婚。私が決めた“支える”道。

ひょんなことから、和枝さんはとある男性と出会う。水鳥製麺所の初代店主・水鳥鉄也さんだ。いつしか二人は互いに惹かれ合い、結婚することに。
手に職があった和枝さんだが、結婚を機に美容師は「スパっと辞めたわ」と話した。

これには正直なところ、少し驚いた。お話を聞きながら「あれほど夢だったのに」と思わず口をついて出てしまったほどだ。そんな私を見て、和枝さんは続ける。

「だって、結婚した相手はうどん屋さんだったんだもの(笑)。私がお店に入って子どもの面倒見ながらお店をやっていかないといけないからね。腕のいいあの人を、私のワガママで子守りにしたくなかったの」

なんとかっこいい、女性だろうか。
しかし、この話を知った親族や周りは当然大反対。「腕がいいのはあなたも同じよ」「あなたが仕事を辞めることなんてないわよ、結婚してからも続けてよ」。そんなふうに言われることも少なくなかったという。特に美容師といえば、当時から女性が輝ける人気の職業だったこともあり、子どもを美容室に連れてきて働く仲間もいたほどだ。

しかし和枝さんの意思は揺るがなかった。「子どもをちゃんと育てて、夫を支える。誰が何と言っても、私がそう決めたんだからいいの」と、竹を割ったようにさっぱりと。

以来60年、和枝さんはこの製麺所の「釜揚げ担当」として、母親として、そして妻として、人生を生きてきた。
地下足袋にズボンを履いて戦後を生きた12歳。
流行りの服を装いモダンな女性だった20歳。
そして今は、エプロンに長靴姿がトレードマークの、家族と店に欠かせない86歳の看板娘だ。

私が最初に感じた白くてきれいなお肌の秘密は、「60年以上にわたり浴び続けている湯気」であり、和枝さんの身なりがいつも整っているのは、「元美容師としての誇りとたしなみ」だった。

あえて言わないけれど、自分を司る大切なもの。それがなんだかとてもかっこよく、瀟洒に思えた。

女性の生き方とは、いったいなんだろうか。
男の人のように夢をかなえても、仕事だけに生きられない人も大勢いる。それなのに外では一人前の社会人として責任もあるし、賃金も稼がなくてはならない。しかし家に帰ればまた別の役割があって、そのどちらもを疎かにはできない…。
時代に翻弄されながら、求められるものと求めたいもので揺れ動く。自分の夢をひとまず後回しにしてしまっている女性がいるのは、今も昔も変わらないのかもしれない。

しかし和枝さんは、今もまだ夢の途中だと話す。

「旦那が死んでしまってから、代表である息子を見守りながら店を続けなくてはいけないでしょ。まだまだ、これからよ」

夢は形を変えて、人をいつまでも輝かせ続ける。

Text:光田さやか
Photo:荻野哲生

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