<第2回>“正解”は自分が決める。デンソーに勤める僕が20代最後に思い切って転職した話。――神谷雅人

好きになれない仕事をこなす日々。人と会うことで見えた景色。

デンソーでは、技術系の職場に就いた。自動車部品に起きる不具合の解析をする部署だったという。ここで彼が一言ぽつりとつぶやく。

「そもそも…モノづくりとか好きじゃなかったしなあ」

えっ?と思わず聞き返す。
そうだった。神谷さんは元来活発な性格。ブロックの積み木やプラモデルを作って遊ぶくらいなら、外で走り回っているほうが好きだったのだ。だからこそ「仕事はそういうものだ」と、自分の中で割り切っていたという。
自分に合っているのだろうか。
自分はこれが本当にやりたいのだろうか。
自分の適性はなんなのか。
しかしそれらを知る機会も、それを教えてくれる人もいなかったのだ。
なぜなら、視野を広く持てていないから。彼自身が、持とうとしなかったからだ。

「言っても、大企業ですから…。待遇はすごくよかったです。部署により異なりますけど、僕のいたところは年間120日は休めて、有給も20日、海外旅行なら別に連休をいただけて、フレックス制…。ラクといえばラクです。仕事にそれを求める人はいいと思います。けれど僕は、そうじゃないなと気づき始めたんです。だけど、僕は仕事に何を求めるのか、それがわからなかった。ここにいればいいだろうと。ここよりいい職場はないのだからと。外の世界を見てもいないのに。おかしいですよね…

敷かれたレールの上を走ること、8年。
彼はその車窓から、変わり映えのない景色をずっと見ていた。しかしその間、何度か転職を意識することはあった。同じ職場の仲間が、それぞれきっかけを作って辞めていくのだ。
何を隠そう、この媒体のカメラマンである荻野も、まさにそうだったのだ。彼はデンソーを退社し、イチから写真家への道を歩んだという変わった経歴の持ち主だ。神谷さんとは、同じ課の先輩・後輩の間柄になる。

荻野さんは辞めるとき、僕に『字が書けて、ハンコがあればいつでも辞められるぞ!』って捨て台詞を吐いて(笑)。いやいや、そりゃそうだけど!って思いましたよ。そんな簡単に辞めちゃうものなの?!って

隣を走っていたと思ったら、いつのまにかレールが分かれている。「そっちにそんな道あるんだ」。そんな感覚だったのかもしれない。
いよいよ20代も後半に差し掛かったとき、副業しながら生計を立てる人と知り合う機会があった。自分より年下の人が、自分で人生をどんどん切り開いて、新しい挑戦をし続けている。「類は友を呼ぶ」とはまさにこのことで、そういう人の話を聞いていると、他にもそういう仲間が増えていったそうだ。

神谷さんの中で、小さな経験が積み重なっていく。
彼の列車の車窓から、違う景色が見え始める。

次第に、彼は気づくようになる。
自分自身が、違う景色を見に行こうとしているんじゃないかと。
行き先を自分で決めようとしているのではないかと。

ガタンと大きな音を立てて、彼の乗る列車が揺れた。

29歳の誕生日までに、新しい人生を自分で決めよう。
もしそれができなかったら、もうウジウジ言わない。一生デンソーで働く。

2018年、28歳になったばかりの、暑い夏の日だった。
レールは陽炎に揺れていた。

<最終回>へ続く

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