生粋人

<第2回>墓、人、こころ。“ひとりじゃない”と気づく場所。——お墓のおざわや・小澤敦司

お墓参りの持つ本質とは。“モヤッとしたら”気軽に訪れて。

「そういえば、お墓とお仏壇の違いって、なにかわかりますか?」と、ふいに小澤さんから問いかけられた。あまりのことでこちらが答えに逡巡していると、とある興味深い話を聞かせてくれた。

 話は、仏教の起源にまで遡る。インドを発祥とする仏教は、中国や日本の神道の思想を経て含有し、多様な解釈が許される懐の深い概念へと進化した。その中の一つに「魂魄(こんぱく)思想」というものがある。小澤さんによれば「魂(こん)」は精神や知恵を、「魄(はく)」は肉体や感情・欲望を指すそうで、人が亡くなると魂は輪廻し極楽に向かうが、魄はこの世で土に埋葬される。お墓は、その埋められた魄を守るための「シンボル」なのだそうだ。

「だから、お墓に向かってお参りをするのではなく、お墓の下にある“土”にお参りをするという感覚が正しいかもしれませんね。土の中には、これまでに亡くなったご先祖のDNAが連綿と記録されている。そして、いつか自分もその土と一体となり、新たなDNAを刻むことになるのですから。そんな大切な場所を守るために、お墓がある。それを清めて、大切に扱うことを“お墓参り”というんです」

 これまでなんとなく行ってきたお墓参りの、本来の意味がわかった気がした。そして、土の中に刻まれ続けた先祖のDNAこそが、“世代の糸”の正体であるということも。

 ちなみに、比較として掲示された仏壇はなんなのかと聞けば、「お釈迦様直通のATM」であると茶目っ気たっぷりに教えてくれた。
 極楽へと渡り、お釈迦様の元で輪廻の時を待つ魂。本来であればお寺に毎日行くことで、故人の魂にもお参りをしたいところだが、なかなかそうはいかない。その代わりとして仏壇を家に招くことで、家にいながらお釈迦様にお参りできる「ATM」のような機能を持たせている、とのことだ。
 「知人から聞いた面白い解釈のうちの一つであって、本当は違うって怒られてしまうかも(笑)。でもこういう知識も、知らないよりは知っているほうがお墓参りも楽しくなるし、もっとご先祖様を身近に感じられますよね」

 お墓を訪れるタイミングについて考えると、故人の命日や誕生日、お盆に年末や年始、といったところが思い浮かぶ。小澤さんはそれに加え、「気が向いたら」「愚痴を言いたいとき」「悩んだとき」に行くのもおすすめだという。
 「僕、たまに言うんですが、お墓ってスッキリし放題なんですよ(笑)。水を汲んでお墓をきれいにして、周りの雑草を無心で抜いて、ついでに隣やその隣の雑草も抜いて。お花を供えてお線香をあげて、手を合わせたら、あとは思いのたけを好きなだけつぶやいたらいいんですから。家族にも友達にも話せないようなことも、お墓の前でご先祖様になら話せる。というか、その時点でご先祖様には既にバレちゃってますけどね。だから、気持ちがモヤッとしたら行けばいいんですよ。気が済むまで、どれだけ居たっていい。ひとりだけど、ひとりだと感じないはずです。お墓は、そういう場所なんです」

見えない“世代の糸”でつながれた者同士の感覚。それは、お墓参りをする者にしか感じられない特別な感覚だ。心を落ち着けて先祖と対話し、自分を取り戻す場所として、お墓を訪れてみたい。

最終回>へ続く

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP