生粋人

<第2回>見えないゴールの“第一走者”。信じた人が歴史をつくる。―山口大学教授・竹中幸史

いよいよ歩む教員への道。成績を格段に上げた驚きの勉強法。

竹中さんが高校3年生の時に出会ったのは、日本史担当の太田治先生。とにかく話が面白く、冗談交じりで聴いていて飽きないのだ。太田先生のペースにどんどん引き込まれていくのが自分でもわかったという。そして「自分も太田先生のようになりたい」と、思い描くようになった。

ここでお伝えしておきたいことがある。竹中さんは、実は私の大学時代の恩師だ。私の通っていた大学で、ゼミの指導をしてくださっていた。当時のように、今だけは竹中先生と呼ばせてほしい。先生は、とにかく面白い授業をしてくださった。語り口は軽妙で発言にも裏表がなく、称賛も指摘もストレートでわかりやすく、それでいて学生からの信頼も厚かった。当時大学で一番若い教員だったということもあるが、竹中先生は当時から男子学生たちに誘われて飲みに行くことがよくあったし、顧問だったバレー部の学生の卒業の際には、十八番だというDEENの「翼を広げて」を歌って送り出すという話も耳にしたことがある。かくいう私も質問や悩みを相談しにたびたび先生の研究室を訪れた。そしてそんな学生は私だけではなかったということは、言わずもがなだ。
今なお多くの学生が、先生を慕い、声をかける。「飲み会でもカラオケでも、最後の学生が帰るまでは帰らない」というのが竹中先生のモットーだそうだ。
数年前だっただろうか。大学卒業後に初めて、名古屋でお会いする機会を設けていただいた時のことだった。私が文章を書くことで生計を立てていると話したときも、「教え子で文筆を生業にしている人は多くない。こんなに嬉しいことがあるかよ」と言って、先生はまるで自分のことのように喜んでくださった。そして「13年ぶりに会うんやから、今日は13年分食えよな」と、たらふくお食事をご馳走になった。
だからようやく自分の媒体で、自分の言葉で、恩師にインタビューできると思うと、私自身にもこみ上げるものがあるのだ。

話を戻そう。
こうして、太田先生に補講を受けながら竹中さんは大学受験を目指した。しかしほとんど勉強してこなかったおかげで、高校3年生の夏の模試では絶望的な数字を目にすることとなる。

800点満点で200点だったんだよね(笑)。だってわかんねーもん、古文とか。英語も。普段使わないだろ?社会や生物などの暗記系は、まあ半分くらいは取れたけど、数学に至っては2点。200点満点で2点。問1しかわかんない。xが2乗で出てくるともうお手上げ。全力投球でこの点数だぜ。笑うしかねーって

半ばあきらめモードで過ごすこと2か月。秋の気配が漂い始めた10月になったころ、ようやく現実を直視した。これは大学に行けないのではないか、と。そして、何から始めたらいいのかと18歳の竹中少年は考えた。
2点だった数学は一旦置いておくとして、社会と理科はそんなに勉強しなくても半分は取れたのだから、まあなんとかなる。国語は、日本語だからよく読めばまあなんとかなる。と、ここまでは非常に前向きで実に素晴らしい限りだ。

しかし問題は英語だ。こればかりは勉強しないとわからない。他校の学生が電車の中で単語帳を見ていることに気づいた竹中さんは、その足で文房具店に行き、単語帳を箱ごと購入。まずは書き込むことから始めていった。
睡眠時間も削った。90分サイクルがいいとテレビで見たことをきっかけに、それまでしっかり7時間とっていた睡眠を6時間、4時間半、3時間と短くしていった。とてつもなく眠かったが、当時は朝4時半に寝て7時半に起き、学校へ行って、1時間ごとにコーヒーを飲んで無理矢理覚醒し、授業を流し聞きながら英単語帳作りの内職に勤しんだ。
コーヒーの過剰摂取により、常にお腹は下ったまま。考えるだけで壮絶だ。しかし竹中さんは、ここでも前向きだった。

まずは1日100個英単語を覚えることを目標にした。そうしたらもし半分忘れても50個は覚えていることになる。翌日も100個覚えて50個忘れても、結局100個は覚えているやんって思って。忘れた分はまた覚え直せばいい。とにかくあと3か月、受験まで睡眠3時間で乗り切った」

やがて竹中さんの中に沸き起こる「解ける」「わかる」という感覚。英語以外の教科も並行して勉強していたことは語るに及ばない。
そしていよいよ迎えた1月の共通一次試験(今の大学入試センター試験)では、なんと800点満点中530点を記録した。
猛勉強した英語は、200点満点中140点。驚異だとしか言いようがない。国語は130点前後、得意の社会に至っては2問しか間違えなかったそうだ。当初2点だった数学は、なんと76点。倍率でいえば38倍にもなった。

しかし選んだ道は、浪人。
私立大学や国立二次の記述対策をしてこなかったため、落ちることが目に見えていたからだ。浪人中は無理な勉強法はせず、適度に睡眠時間をとって過ごした。そして迎えた2度目の試験(第1回センター試験)では、800点満点中740点以上という点数をたたき出した。

見事サクラ咲き、京都教育大学へ進学。友人とルーズな毎日を過ごしても、模試で打ちひしがれても、浪人が決まっても諦めなかった教師という夢の扉を、竹中さんはようやく自力でこじ開けた。

第3回へ続く>

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