<第2回>“忘己利他(もうこりた)”の精神。――延命寺法嗣・村上圓学

壮絶な修行・百日回峰行。

百日回峰行を始めると決意した村上さん。「正直、不安も恐れもありました」と当時の心境を率直に話す。しかし、あえて周囲に話すことで自分を奮い立たせ、プレッシャーをかけ、追い込んだという。
仏門を志した成人男性がそうまでしないと決意が揺らぐほどの修行・百日回峰行。具体的にはどんなことをするのだろうか。

「百日回峰行は希望者がだれでも始められるわけではないんです。まず、住職の許しを得ること。修行をするにあたっての保証人となる人を比叡山で探すこと。その後比叡山の無動寺谷というところで、「本当にこの人はやれるのか、素質があるのか」といったことを話し合う会議にかけられます。その年で一緒に受けられるのは、最大6人。そこに入らないと修行させていただけないんです。私の時は私を含めて5人が選ばれました」

この5人が比叡山で寝食をともにし、回峰行の満行を目指す。夜中の1時半頃から朝方まで1人ずつ時間をずらして歩き、 距離にして七里半(30km)、不動明王の真言を唱え続け、各所で礼拝をしながら約100日、ひたすら前に進んでいくのだ。
決して歩みを止めてはいけないという。

“行不退(ぎょうふたい)”といって、後に戻ってはいけないんです。例えば先に進んだ誰かがケガをしてうずくまっていても、止まれないし、助けに戻ることもできません。『大丈夫?』と声をかけることしかできないんです。行なので、仕方ないんです。その思いをすることも、修行です

すり減っていく、草履と気力、体力。
しんどいと思うことなど、一度や二度ではなかった。
歩き始めの一週間は足が浮腫み、上がらなくなり、草鞋を貫通してくる木の枝に足裏はボロボロになる。
幸い体調不良にはならなかったが、台風であろうが、山の嵐であろうが毎日歩き続ける。

履きつぶした草履はほどけて、形をとどめていないものもある。

掟に従い、山中では自ら進んで食料はおろか水一滴も口にしてはいけない。
早朝、宿坊でその日の食事を済ませたら、施し以外は受けてはならないのだ。
滾々と湧き出る山の清水でさえも、見て見ぬふりをして幾度となく行き過ぎた。

やがて、爪も伸びなくなってくるという。
人体の末端まで栄養が行きわたらないためだ。

行が50日を過ぎると、麓のお寺や民家で「お供養」といって、食事などをふるまってくれるそうだ。
人の優しさや思いに触れ、さまざまなことを考えるという。

生きるとは。修行とは。
かつて千日回峰行を満行された阿闍梨様から聞いた「人に丁寧に接してきただけ」という言葉の意味は。
なんとかして、生き延びねば。
どうにかして、満行しなければ。

回峰行を終える100日目。阿闍梨様が待ってくれていた。
「無事に、百日満行させていただきました」。
村上さんが口を開く。しかし、阿闍梨様からねぎらいの言葉はない。ただ、そこに存在し、見届けるだけなのだという。

あれだけの修行をしたのに、そっけない気もしますね…と私が言うと、村上さんは「いえ、これでいいんです」と私の言葉を遮る。

「このあと、さらに厳しい環境に身を置きますから。
我々が気を抜かないための、あえての態度です」

数日ののち、修行の舞台は京都・葛川へと移される。
ここではまさに生と死の間のような修行が行われるのであった。

<最終回へ続く>

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