名鉄神宮前駅横にある「神宮小路」をご存じだろうか。お世辞にも広いとは言えない道筋に、暖簾や提灯が目立つ飲食店街だ。その情景は、まさにディープ・アジア。「はしご酒」という言葉がおあつらえ向きな、気楽な夜を過ごせそうだ。

その小道を抜けて少し広い空間に出ると、一軒の洋食店が目に入るだろう。居酒屋が軒を連ねる神宮小路で、ランチがいただける貴重な存在。「ちかさんの手料理」だ。

この店のおすすめは、驚くほど柔らかなヒレカツ。そのおいしさの秘密に迫ると、シェフの情熱とこだわり、そして一皿にのせる“2人の”思いを知ることができた。

サービススタッフからシェフに。居心地のいい店を実現。

店を切り盛りするのはシェフの向井秀宣さん、奥さんのちかさん。12年前の5月に知り合いの紹介でこの地に店を出したという。
秀宣さんは、独学で料理の腕を磨いた努力の人。なんでも前職は、レストランの支配人兼サービススタッフだったそうだ。
それがどういう運びで自身の店を持つことになったのだろうか。

「昔働いていた店に、難しいシェフがいましてね。おいしい料理をつくるんですが、お客さんの望むものではなく、自分の都合で料理をする、というのかな。それでは困るなあと思うことがたびたびあったんです。もちろん、そうでない超一流のシェフもいた。けれど中には頑固な人もいたのでね…。お客さんに本当に喜んでもらえるお店にするにはどうしたものかと」

おいしくて、お値打ちで、お客さんにとって居心地のいい店。秀宣さんが理想とするのはそんなレストランだった。以前から自分で商売をやってみたいという思いがあった秀宣さんは、まずは自分がやってみないことにはと調理をしてみた。凄腕のシェフの手さばきをずっと間近で見てきたこともあり、おおよその工程は把握していた。あとは無類のワイン好きである自分の舌を信じた。何を隠そう、秀宣さんは素材の育成方法や栽培地にまでこだわり、専用グラスまでそろえてしまうほどのワイン通。自然と舌も肥えるというものだ。料理もそれと同じだと思った。素材の生産地を厳選し、下ごしらえに時間を割く。そうすることで、料理としてのクオリティは格段に上がることを身をもって体感した。

開店にあたり、店内の内装はちかさんが一手に引き受けた。外から見ると「どこか懐かしい洋食屋」という印象を受けるが、中に入ると雰囲気は一変。シックな色合いの内装と丁寧にメイキングされたテーブルに、そこはかとなく高級さを感じられる。

「ちかさんの手料理」という店名は、いくつかある候補の中から占いで決めてもらったという。「メインで料理を作るのはこの人なんですけどね」と、隣に座る秀宣さんを見て、ちかさんは微笑む。開店当時は地元に住む高齢者や前職の馴染み客が、今では若いカップルや家族連れが足しげく通うという。

「前いたレストランでも、もちろんこの店でも、うれしい瞬間は変わらない。一口食べたあと、お客さんが『おいしい!』ってリアクションしてくれるとき。この瞬間のために料理やってるなあ、って思うんですよね」

おいしく食べてほしい。2人の思いを一枚の皿にこめる。

秀宣さんの仕事の様子を見させていただいた。こだわりの豚ヒレカツは、食べたときに口当たりを良くするために、細かなスジを一本一本取り除いていくという。ほんの少しの妥協もなく、丁寧に。

「この作業が一番時間がかかる。一本あたり、だいたい10分くらいかけてますね。スジも、使えないものは捨てるんですが、使える部分は副菜の材料として使っています。煮込むとおいしくなるんですよ」

素人ではおおよそ見逃してしまいそうな、赤身の間に隠れた部分も、繊細な包丁さばきで探り当てていく。カラリと揚がっているのに豚のヒレ肉とは思えないほど柔らかくジューシーな食感は、この地道な作業の賜物だった。

副菜は、ちかさんの担当。ひじきや切り干し大根など、家庭的なおかずが日替わりで添えられている。「おかずの味付けは任せている」と秀宣さんは話すが、ちかさんは必ず秀宣さんに味を見てもらうという。「この人はメインのカツを。私は添えてあるおかずを担当しています。作り方とか下ごしらえとか、お互いの作業には口を出さない。でも、おいしいねとか、この味もう少しこうしようかとか、そういうことは言うようにしているかな」とちかさん。お互いを信じているからこそ、背中を任せられる。けれど、客が「おいしい」と喜んでくれるためには、前向きに意見の交換をする。その思いが同じだからこそ、2人にしかできない一皿が完成するのだ。

人気のヒレカツとボリューミーなエビフライ、そしてホタテフライが贅沢に味わえるよくばりな「スペシャルミックス定食」2200円。粗挽きのパン粉で揚げた衣は、口の中でサクッと軽やかな音を立てる。エビフライとホタテフライは、身の部分の程よいレア感がなんとも上品。ぷるぷるとした弾力をベストな状態で味わえるよう、下処理も揚げ具合も計算されているのがわかる。

ヒレカツは、この分厚さがありながらふんわりとした柔らかさが特徴。丁寧な下処理はここに生きているのだ。少しスパイスの効いた特製カツソースにくぐらせれば、肉汁の旨味と相まって、噛むほどに絶妙な味わいを醸し出す。これならば、昔馴染みの客から家族連れまで、幅広い客層から愛されるのもうなずける。

ついつい、このヒレカツからかぶりつきたくなるのだが、そこはエビフライから手を付けるのが「ちかさんの手料理」での流儀。「エビやホタテは中身のレアな感じを大事にしていますので、できればこちらから先にどうぞ、と出す時にお声かけをしています」と秀宣さん。ちかさんはそれに続いて「この人、写真を撮ってるばかりでなかなか食べない人には『冷めないうちにどうぞ』って言いに行っちゃうのよ(笑)。信じられないでしょ」と笑った。

終始、2人の間には笑顔が絶えなかった。この笑顔も、客にとって居心地がいい店の一因であることは違いないだろう。仕事もプライベートも睦まじいというおふたりだが、仲良くいられる秘訣はなんなのか尋ねてみた。

「任せるところは任せるけれど、気になったことは腹の中に残さないで言ってしまうことかな。そうでないと嫌なことがいつまでも増幅してしまう。だったら言ってスッキリしようってところはあるかな?」

「そうねえ。私はワインがあったらご機嫌だけど(笑)?」

神宮小路の片隅の、小さな洋食店。
真心のこもった一皿をゆったりと味わいたい。

レストラン ちかさんの手料理
名古屋市熱田区神宮3-5-14
052-682-1541
11:40~14:30(L.O.13:50)
不定休
Pなし

Text: 光田さやか、Photo:荻野哲生

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