子どもの頃を思い出す景色。あなたにとってそれはなんだろうか。
夏の日のひまわり畑と、虫取り網。
学校帰りの少年が渡る、夕暮れの横断歩道。
背伸びをして狭い隙間から見た、和菓子屋の作業場。
誰しもが持つであろうそんな景色の中には、きっと変わらないものが存在する。
愛知県一宮市にある「野田屋菓子舗」のいちご大福にも、長きにわたり変わらないものがあった。
販売から約40年。ピンク色の餡はこだわりの証。
「野田屋菓子舗」の創業は、終戦の年である1945年。店を建て替えて今に至ると教えてくれたのは、野田満男さん。同店の二代目だ。
看板商品である「いちご大福」を販売し始めたのは、建て替えすぐのことだったという。
断面を見てもわかるとおり、餡がピンク色だ。
いちご大福でよく見かけるこしあんや白あんではない。
「実は、この餡にとてもこだわりました」
40年前の開発当時を思い出し、満男さんは遠いまなざしを窓の外に向けた。
「はじめは、黒い餡だったんです。でも納得いかなくて。餡を炊くときにいちごを混ぜ込むことによって、ピンク色にしようと思いました。この色味を出すのに3年かかりました」
添加物を使わない、果実そのものの色。現在は、餡を炊く仕事は息子の錦市さんが担っているが、経験と技術の必要なこの作業を「毎日、父に味を見てもらっています」という。父の育てたレシピを、子が守り受け継ぐ。一子相伝の味は誰にも真似できない。
そして中には、みずみずしく大きないちご。濃厚な甘みの後にさっぱりとした酸味を感じられる品種を使用している。食べたときに断面が縦になるようにするのがポイントなのだそうだ。
それらを一番外から包むのが、伸びのいい羽二重の生地。老若男女から好まれる、素朴で上品な味わいに仕立てている。
世代を越えて長く愛される和菓子作り。
子どもだった人が親になり、その子どもがまた「野田屋」のいちご大福を食べる。
「久しぶりに買いに来たよ」と言われる瞬間が一番うれしいのだという。
「素材を吟味しながら、変わらないものを変わらないように作り続ける。それこそが、私たちのやっていくべきことなのかなと思います。
一年のうち、いつ訪れても同じ規格、同じおいしさであることは、これからも大切にしていきたいです」
年末年始などの繁忙期には、一日8000個以上は作るという。そのひとつひとつを手作業で同じものに仕上げていると言うから、頭の下がる思いだ。
現在は、和菓子を学ぶ高校生や専門学生も多いという。満男さんや錦市さんは、そんな若者たちに技術や伝統、歴史を伝えていく“伝道師”としても活動しているという。
「若い人が積極的に和菓子に興味を持ってくれるのはうれしいことですね。和菓子ならではの繊細さや美しさを、もっと知ってもらえたらと思います。
タイやブラジルの人が『国へ帰るのに持っていきたい』とお求めくださったこともありました。そうやって、これまでなじみのなかった人にも食べていただけるように精進していきたいです」
「野田屋」のいちご大福には、大きないちごとこだわりの餡、そして今も昔も変わらない思いと技術がたくさん詰まっていた。
世代を超えて愛されるそれは、今日もどこかで、誰かの「思い出」のひとつになるのかもしれない。
野田屋菓子舗
愛知県一宮市今伊勢町馬寄呑光寺4-6
0120-137-280
9:00~19:00
無休
Pあり
https://nodayakashihonodaya.business.site/
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