生粋人

<最終回>“今を生きる”。うつ病を経験した一年間が、僕に教えてくれたこと。――日高圭

「諦める」という勇気。そして気づいた、第三のコミュニティの必要性。

だからね、僕は諦めたんだ。人生のすべてを。母にもそう伝えた。『僕は、これまでの日高圭ではない、何も期待しないで欲しい。生きていくだけで精一杯。ごめん。』と。でも、これは母に伝えたようで、自身に言い聞かせたことだと思う。初めて受け入れたんだと思う。」

なんと、つらい決断だっただろうか。

しかし同時に、なんと喜ばしいことでもあっただろうか。

なぜならこの結論にたどり着いたおかげで、日高さんは理想とのギャップから解放されたからだ。
理想がなければ、不安も後悔もない。
うつ病を治すために必死だった日高さんが、自身で見つけ出した答えだったのだ。

その後、1年間の休職ののち快復、人事部への異動、東日本大震災、そこで学んだ「人とのつながりの大切さ」。
日高さんはその思いを胸に、「感謝!上前津会」というコミュニティを作ることとなる。

人間なんてね、一年後にはどうなっているかわからない。今でもうつ病だった時代を振り返るとそう思うよ。一年間で出会える人の数って本当に無数だから、自分と同じ考えの人や、悩みを持った人と知り合うことができる。やがてそこが、家庭でも会社でもなく、自分が無理せずにいられる、いわば“第三のコミュニティ”になるんだ

人には、それぞれ“役割”がある。

誰もが、子であり、部下であり、妻であり、何かしらなのである。私たちは知らず知らずのうちに、その役割を演じているのかもしれない

でももし、それに疲れたとき、それらの何者でもない自分でいられる“第三のコミュニティ”があるとしたら、きっとそれはとてもかけがえのない場なのだろう。

日高さんは今でも、かつての自分と同じような境遇の人を見かけたら、上前津会に招待するという。人と人とのつながりを大切にしたいという人が、また人を呼び、輪を広げていく、そんな温かいコミュニティだからだ。

ただ上前津会に限らず、第三のコミュニティを無理にがんばって探す必要はないと日高さんは言う。10回に1回でもいい。なにか気になる会があればいいや、くらいの軽い気持ちで、探してみるといいそうだ。

かつて、うつ病だったころの自分に声をかけるとしたら、何と言いたいだろうか?

この質問に、日高さんは苦笑する。

「えー、なんだろうな(笑)。難しい。でも、よくがんばってるよ、って褒めてあげたいかな。あの時の僕が、一番されたかったことかな

言葉に、あの一年が凝縮されているかのようだった。

そんな日高さんは日課として、仏壇と神棚に手を合わせることを欠かさない。

「今を生きる、ということもそうだけれど、神様や仏様に手を合わせて、自分の今に感謝することも大事にしている。たくさんのご縁に守られていることを強く感じられるんだ。心穏やかに、人と人とのご縁に感謝しながら、毎日を過ごしていきたいな

Text:光田さやか
Photo:荻野哲生

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