生粋人

<第1回>“枠”からはみ出たセカイの向こうへ。オモシロ楽しい、ホンキのオトナ。永目健一郎

人生は、数学の公式のようにはいかない。

決まりきった方程式もなければ、正しいとされる解もない。
それなのに、なにか行動しようとすれば「変わった人だ」「それは間違っている」と批判される。

誰かが持つ「こうありたい」に対し、「こうあるべき」など、誰が言えたことだろうか?

笑いと人情のまち・大阪に、一人の男性がいる。
あるときは大学受験の予備校講師、またあるときはラッパー、そしてまたあるときはおじさんアイドル。

そのどれもが彼であり、その活動の全ては、彼自身の「ありたい姿」の中でどんどん変容し、自分自身で枠を突き破っていこうとしている。

「先生とかそれ以前に、全力で楽しんでいる本気の大人の姿を子どもたちに見せたいですね」と語る彼に、自身の半生をゆっくりと振り返ってもらった。

勧められるまま歩んだ理系への道。葛藤を抱きながらも教員へ。

彼の名前は、永目健一郎さん。最初に出会ったのは、名古屋で定期的に開催されている「朝活セミナー」に講師として登壇されたときだった。

そのときのテーマは「ここが変だよ?!日本の学校〜ブラック校則をぶっ壊す〜」というものだった。元高校教師で、現在は大学受験の予備校で数学講師として活動している人物が、このタイトルをつけてしまうというだけで、もう興味がマックスまで高まっていた。

しかし、朝活セミナーでのお話を聞くと、ただ学校校則に文句があるだけではないということがわかった。
教員の働き方、学校制度の慣習。
文句があるなら、自分ができるところから変えていく。おかしいことはおかしいと言える環境をつくる。
自分の「こうありたい」をラップに乗せて披露する姿を見て、彼の価値観が形成されてきた生い立ちをいつかじっくり聞きたいと思っていた。

そして約1年越しとなってしまったが、ようやくインタビューが実現した。
取材場所には、彼が現在外部講師として授業をおこなっている塾の一室をお借りした。

「小学生のころから勉強は割と好きでしたね。調べたり考えたり、新しいことを覚えたりするのが好きで。とくに英語ですね。小学生で英会話スクールに通っていたこともあって、英語は中学に入る頃にはだいぶ得意な科目だったんです。中学生の時には、英語の先生になりたいという夢がありましたね

しかし、高校生になると、楽しかったはずの英語の授業に違和感を覚えるようになる。授業を聞いていても面白いと感じなかったのだ。勉強にも身が入らなくなり、次第に成績は伸び悩んでいった。

「中学のときに通っていた塾の英語の先生が、とにかく面白い人で。授業を聞いててとにかくトークが楽しいんですよ。毎回笑いすぎて涙が出るくらい!だからそのおかげで英語が得意になったんですけど、高校の授業がつまらないと感じてしまったのはその反動もあったのかもしれないですね」

とはいえ、やはり得意としてきた英語を生かして教員になるという夢はなかなか諦めきれなかった。2年生に進学する際に文理選択を迫られ「英語教師になりたいのだから、文系だよな」と永目少年は考え、選択希望用紙に書き込んだ。

しかしここで、当時通っていた塾の講師から思わぬ一言を告げられる。

「永目くん、男なら理系だよ」。

目を丸くする永目少年を前に、その講師は続ける。

大学受験を考えると、理系から文系へ転向することは可能だけれどその逆は難しいよ、と言われたんです。いわゆる『文転』とか『理転』って言うんですけど、文系にいながら『やっぱり理系に行きたい』と思っても選択科目の兼ね合いもあり、絶対に勉強が追いつかない。だから理系を選択しておいたほうがいいと。
あと、理系クラスは文系クラスに比べて数学が早く進むし、難しいことも習うから、文系クラスの子たちよりも得意になれるよ、とも言われました。
すると先生は『それはどういうことかわかるか?文系クラスの女子たちが、数学教えて〜って言って、理系男子を頼って大量に聞きにくるんだよ!!だから永目くん、恋のチャンスをつかめ!!』って言うんです(笑)。
僕は『はっ!確かに!!』と思って、妙に納得してしまって。あと、当時好きだった女の子が理系を選択するという情報も聞きつけていたので、これはもう理系以外ないなと思って、提出日前日に用紙を書き換えました」

こうして、明確な根拠とやや不純な動機を持って、永目さんは理系へと進んだ。数学は英語ほど得意ではなかったが、当時の数学の担当教員が若くて面白かったこともあり、めきめきと実力をつけていった。

先生が面白いかどうか。授業が楽しく聞けるかどうか。
自身の勉強へのモチベーションが「教える側」にあるということに、永目さんはこのとき少しずつ気づき始めていた。

だからこそ今でも思うんです。生徒たちが自分のことを好きになってくれたら、きっと科目のことも好きになるし、そしたらきっと勉強そのものも好きになってくれるんだろうなって。だから僕はそういう先生でありたいんでしょうね

理系での高校生活はなかなか勉強に苦労したと、永目さんは話す。もともと英語が得意で文系に進もうとしていたのだから無理はない。数学も難しかったが、特に物理や化学はちんぷんかんぷんだった。
しかし、塾講師の言ったとおり、文系女子が永目さんの元へ来て数学を教えるというやりとりが本当にあったのだとか。「自分は女子と話すのが苦手だったのですが、勉強を教えることを口実にお近づきになれて、少しモテる気分を味わえました」と、何かを噛み締めるようにそっとつぶやいた。副産物的に、ちゃっかり彼女もできたそうだ。

その後、浪人の末、京都教育大学の数学科へと進学。

順風満帆なカレッジライフを送れる、はずだった。

……実は僕ね、2回生のとき、教員になることを諦めたんです。もちろん、教育への熱意はありました。けれど、同じく教員への道を志している同級生たちと感覚が合わないなと感じることがあって。
授業に真面目に取り組まず飲み会になるとはしゃぎすぎて人に迷惑かける奴がいたり、グループワークなのに周りと協力せずに勝手に暴走する奴がいたり……。教育大学に通ううちの95%は教員になると言われているなかで、こんな人たちが目指すような仕事なら、僕はいっそ教員なんて辞めてしまおうと思ったんです

しかし、教育には携わりたいという思いは捨てきれない。教材を作る会社に就職を考えてみたり、塾講師になろうかと求人を探してみたりしたが、いまいちしっくりこなかった。
大学生活で完全にモチベーションを失っていた永目さんだが、せめて勉強だけはしっかりやろうということで、3回生のときには当時大学で一番厳しく忙しいと噂のゼミに入ることにした。
そのゼミでの研究テーマは「数学教育」。数学そのものを勉強するのではなく、子どもがどのような思考や認識で数の概念や図形を認識していくのかを深掘りしていくものだった。噂に違わず、毎日睡眠時間4時間は当たり前というブラックぶりで、毎週何時間にもわたる研究発表がある。
さらに同時期には先輩に誘われて大学祭の実行委員をしたり、不登校の子どもたちを集めてキャンプをする活動も並行しておこなっていたため、充実こそしていたものの時間も体力もみるみるうちに奪われていった。また、ゼミでの生活で心療内科に通うほど心身を衰弱させながらも、永目さんは2年間ゼミでの研究に明け暮れた。

しかし卒業を控えるようになっても、教員への道か、就職への道かは、定まらなかった。教育に関わっていたいのに、そのどちらにも情熱が傾けられないのだ。
いっそこのままなにも決めずに卒業してしまうのもいいかな、とぼんやりと思っていたころ、ゼミの先生からある話を持ちかけられる。

「永目君、就職決まっていないでしょ?私立の教員を募集している枠が空いているから、面接だけでもいってみなよって言われたんです。もともと教員になりたかったわけですし、教授から強く勧められたこともあって、しぶしぶ受けてみることにしたんです。結果は合格で、僕は滋賀県の私立高校の教員として採用が決まりました」

充実しながらも心身を消耗する大学生活の中で、一度は夢を見失ったものの、憧れだった教員になることができた永目さん。

しかし、ここから“過酷な4年間”が始まることになろうとは、思ってもみなかった。

第2回へ続く>

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