「頑張ろう」と思える味。この店の料理にはそんな力がある気がする。
熊本県阿蘇郡南阿蘇村。おだやかな青い風が吹き抜ける田園の中腹にたたずむ、一軒家レストラン「Minaasoマルデン」は、2016年4月の熊本地震で被災。地域の人に支えられ、助けられながら2020年6月に移転リニューアルオープンを果たした。
「諦めなければ道は開ける。一人だったらダメだったことも、家族や仲間がいれば実現できるんだ、って。そう思いました」と、シェフの増田一正さんは話す。木陰で揺れるハンモックを眺めるその瞳からは、これまでの苦難の道のりと、南阿蘇復興にかけるこれからの思いを感じることができた。
地域の憩いのレストラン。大地震でゼロからのリスタート。
阿蘇の人にとっては、「ごはん処まるでん」という名前に馴染みを覚える人も多いのかもしれない。増田さんはもともとこの名前で、地震で崩落した阿蘇大橋のたもとでお店を営んでいた。
名物は、野菜と果物をたっぷり煮込んだカレー。数十種類ものスパイスの配合にこだわった。若干黒みがかったトロトロのルウは、辛さが控えめで、素材の甘みを存分に感じられる。
ゴロンとした大ぶりな肉は、熊本の銘牛・赤牛のスネ肉。香ばしくオーブンで焼き上げているだけあり、ルウの中でもしっかりと主張するような力強い味わいだ。
“あの時”が訪れるまで、「ごはん処まるでん」は地域の人の胃袋をやさしく満たしていた。
「お店を開いて7年目だった2016年4月16日のことです。震度7の大地震が阿蘇を襲いました。当時は、今のお店があるこの場所に自宅があって、ここにいたのですが、『阿蘇大橋が落ちた』という話を耳にして。当時はラジオもつかなかったから、半信半疑で、嘘であって欲しいという思いで店と阿蘇大橋を見に行きました」
地震直後の混乱もあり、車では途中までしか行けず、あとは歩いて向かった。やがて目に映る光景を目の当たりにして、増田さんは絶句した。
店は、大規模に倒壊。断層の近くに建っていたこともあり、基礎が全てやられていた。主要道である県道57号線と南阿蘇を結ぶ阿蘇大橋は、山肌を滑り落ちてきた土砂に押し流される形で、谷へ跡形もなく崩落していた。
にわかには信じられない光景だった。
「とても、店を再開できる状況ではなかったです。阿蘇大橋が崩れてしまっていたし、たとえこの場所で店を再開してもお客さんも来られないだろうと。それ以前に、そもそもどうやって暮らしていこう、という感じで途方に暮れていました」
家族5人で避難所に身を寄せること3年。一時は屋久島に移住し新たなスタートを切ることも考えたが、なかなか行動に移せなかった。
避難所で過ごす夜、幾度となく思い起こした。
脳裏に浮かぶのは、店に来てくれる客の笑顔。
のどかで雄大な南阿蘇の大自然。
あの日々は、もう返ってこないのだろうか?
僕は、故郷を、捨てられない。
そんな時、増田さんは養豚業を営んでいた知り合いからキッチンカーを譲り受けないかという話を持ちかけられる。
キッチンカーで、もう一度ゼロからやり直そう。
そう思い立った増田さんは、この話を受けてみることにした。
材料も調達できず、最初のメニューは「かき氷」のみ。
それでも、南阿蘇の人は「キッチンカー マルデン」の開業を喜んでくれた。
材料が入るようになり、名物だった赤牛ローストビーフカレーを復活。
客の一人ひとりが「この味だった!」「これを食べられるのを待ってた」「大変だけどお店頑張ってね」と口々に喜んだ。
「やっぱり、お店をやらなきゃって。地域の人との絆があって、支えられてきたんだと。その恩返しと、応援の声に応えるためにも頑張ろうと思いました」
こうして3年の月日が流れた、2020年6月。
自宅に隣接するかたちで「Minaasoマルデン」としてリニューアルオープン。
名物カレーの味はそのままに、温かな状態のまま食べられるようスキレットにして提供している。
特に「マルデンあか牛カレー」と人気を二分している「あか牛ランイチ ステーキカレー」は、赤牛の中でも希少部位である「ランイチ」のステーキを贅沢に使用している。リニューアルを機に店内に炭火焼きグリルを設けたことで、じっくりと仕上げることができ、赤牛の持つ凝縮された旨味と醍醐味を存分に感じられる一皿となっている。
店のオープンを喜んだのは、客ばかりではない。
増田さんの家族もだった。
「実は、うちは仮設住宅に最後まで残っていたので…。新しく建てる自宅の隣に店を構えたことは、家族も喜んでくれました。家族や、同じように南阿蘇で頑張る仲間との絆があったからこそ、再開できたんです」
増田さんの、南阿蘇での日々がリスタートした。
有志と会社を設立。南阿蘇に「価値」を。
キッチンカーでの営業をしながら、増田さんは有志たちとともに「株式会社REASO」を設立した。「阿蘇の3つの物語-星と火山と草原と-」をコンセプトに、阿蘇での自然体験やサービスを通じて地域の活性化と新たな価値を見出すことを目標にした会社だ。
「熊本地震を契機に、40歳以下のグループで『つなぐ、つながる南阿蘇未来会議』を結成しました。『REASO』はその中から、多くのご支援のもと、有志14名が出資して2019年春に起業した団体です。地震をきっかけに、南阿蘇という地域を見直そうと決めました。そういう目線で南阿蘇を調べていると、とても多くの魅力があることに気づいたんです」
「REASO」が打ち出す南阿蘇の“価値”の1つが、ナイト・トレッキングだ。
阿蘇の大自然は、夜にはまた違った雰囲気を持つ。満天の星空、火山のエネルギー、どこまでも広がる草原…。それらは悠久の時を超えて今なお変わらずにある、南阿蘇の価値そのものだ。プロのガイドにより山道を散歩しながら、その独特で幻想的な夜の魅力を堪能できる。
他にも、思い切り体を動かして木登りを楽しむツリーイングや、大自然の中で楽しむデイキャンプなど、企画は着々と進行中。増田さん自身もアウトドアクラブを運営している。
「この店でも、アウトドアとレストランが一体になったような、新しい楽しみ方ができるといいですね。いつか、田舎が『INAKA』と英語で表記されるような、おしゃれな存在になれたらいいな」と、増田さんは顔を綻ばせた。
地震を経て、得たものがあるという。
「これまでは、なんというか、『点と点』という感じだったんです。南阿蘇でお店や会社をやっていても、お互いがつがなるとか協力するという感じではなくて。それが、地震を経て全てがゼロになってしまって、自分のことだけでなく街のことや人のことを考えるようになったんです。そうしたら自然と、点だった僕たちに絆が生まれて『線』でつながるようになった。新しく生まれ変わった感じがしています」
今では定例になっている週1回の会議も、以前ではなかったことだ。コロナという情勢もあって、オンラインでさまざまな人と会話する場ができたことも、思わぬ副産物と言ってもいいかもしれない。
増田さんは続ける。
「今からも、いろいろあるかもしれない。でもその都度、みんなで乗り越えて行きたいですね。生きてさえいれば、どうにかなるんですよ!あの地震を経験したからこそ、心からそう思えます。災害の多い阿蘇に暮らしてきた先人たちは、これまでもそうやって乗り越えてきたのかもしれないなと」
地域との絆。
再開を心待ちにしていた客との絆。
家族や仲間との絆。
地震でゼロになった増田さんに残ったものは、何物にも変えがたい絆だった。
だからかもしれない。このカレーを食べて「頑張ろう」と思えるのは。
この一皿に込められたさまざまな絆を感じたら、きっとまた、前を向けるはずだ。
Minaasoマルデン
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5277
0967-65-8557
11:00〜15:00(L.O.14:30)、18:00〜22:00※ディナーは予約制
https://www.minaaso.com/
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