<第1回>“忘己利他(もうこりた)”の精神。――延命寺法嗣・村上圓学

初夏の風が頬を撫でる。

それを受け、葉が揺れる。さわさわとした音が私の耳に届く。
どこかで鳥が鳴いている。
咲く花も、まだ咲かぬ花もある。

ここは、愛知県大府市にある天台宗の寺院・寶龍山延命寺。
法嗣の村上圓学さんは、穏やかに微笑みながら言う。

「目に映るすべてのものに、“命”と“役割”があるんです」

なるほど、そうなのかもしれない。
葉は葉の、鳥は鳥の、花は花の命をもって、その役割を全うするのだ。
万物はみな命等しく、そのどれもが仏になる素質を秘めている。
『山川草木 みな仏』。天台宗の教えだ。

諭すような口調。まさに仏のような相好。しかしその裏側には、彼の経験した壮絶な修行があった。
そこから得た学びとは。
彼の根底にある精神・“忘己利他”の四字の意味とは。

9歳で得度(とくど)。回峰行への憧れ。

村上さんが得度式(髪を剃り、法名をいただき、お坊さんになるための儀式)を迎えたのは9歳のとき。

「得度を終えても、それからすぐに仏門に入るわけではないんですよ。その後も友達と同じように学校に通いました」

お坊さんになることについて何の疑問もなかったという村上さん。急に頭を丸めたものだから、同学年の友達にはからかわれたこともあったそうだ。子どもらしく将来の夢もあったそうだが、「多分お坊さんになるんだろうな」と漠然と思っていたという。
23歳になり比叡山に登山。「叡山学院」というところで僧侶になるための基礎を学んだ。いわゆる専門大学のようなところです、と村上さんは教えてくれた。

「仏教を中心にして、天台学、書道に英語、体育なんかもありました。大学のカリキュラムと同じように、いろいろな学科がありましたね」

叡山学院へは7年通った。
そして在学中のあるとき、村上さんの今後を大きく決めることとなる“運命の出会い”が起きる。

「男子寮の掃除をしていたときのことです。回峰行をしている人を見かけて。それで、カッコイイなと、私もああなりたいと思ったんです」

回峰行(かいほうぎょう)。
比叡山において、山中にある約260か所の聖地を礼拝して回る修行のことである。 歩く修行と思われがちだが、歩くのはあくまでお参りをする“手段”に過ぎないという。
浄衣という白い死装束を纏い、首吊り用の紐と亡くなったときに顔に掛ける白い布を携行し、三途の川の渡し賃の六文銭を蓮華笠の中に入れて修行する。百日回峰行と千日回峰行があり、どちらも一度始めたらやめられない。
もしやめるならば、掟に従い、自害をしなければならないのだ。
山中を飛ぶように歩くことから、「峯の白鷺」と呼ばれることもあるという回峰行。千日ともなればその移動距離は地球一周約4万キロとも言われている。

村上さんは、この回峰行者を比叡山で見かけ、その姿に心を打たれたのだという。

「 蓮華笠を頂いて草鞋を履いて、浄衣を着て。一心不乱に念仏を唱えながら早足で山の中を歩いて行く。その様子を見て回峰行に興味を持ちました。大学でもその歴史を自分で調べたり、先生に『どうしたら回峰行をさせてもらえるのか』と尋ねたりして、知識を深めました」

叡山学院での卒業論文も回峰行を創始した相応和尚についてだった。

阿闍梨(あじゃり)様というのですが、千日回峰行を満行した人とお話する機会があって。その時感じたのが、なんというか、“パワーヒューマン”という感じなんですよね。話しているだけで癒される、落ち着くんです。
失礼を承知で、どうしたらそんな境地に達することができるのか?と聞いたことがありました。その時のお答えは、『特別なことは何もしていません。丁寧に人に接してきただけですよ』とのことでした

その言葉の意味が知りたい。その思いだけだった。
村上さんは、百日回峰行を満行すべく 、叡山学院を卒業後半年で再び比叡山に入山することになる。
30歳の時のことだった。

<第2回に続く>

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