生粋人

<第1回>音と人の揺らぎの中で。僕の綴る“ストーリー”。――「株式会社SW」代表・西澤裕郎

東京都・渋谷区を、一人の男性に案内され、私は歩いていた。
青々とした山に囲まれた長野県で生まれ育ち、名古屋、東京の街を見て生きてきた彼。西澤裕郎さんだ。

渋谷は、「欲望の街」だという。
こうありたいも、こうなりたいも、こうはなりたくないも、
全部全部詰まっているという。

しかしながら本当に人が多い。ぎゅうぎゅうにひしめいて、ガヤガヤ・ザワザワしている。彼の言うように、渋谷が欲望の街ならば、誰もが迷いながら何かを探しているのかもしれない。

そんな街で生きる彼の職業は「音楽記者」
これまで数々の、未発掘だったアーティストを紹介し、イベントや対談をし、その人の音楽性と人となりを発信してきた。
西澤さんがこれまで、なにを見て、なにを感じ、現在に至るのか。
彼のなんともオリジナルでフローティングな半生を、紹介していこう。

ワルに憧れてバカになった高校時代。

…いきなりな言葉づかいで恐縮である。この見出しの意味がお分かりいただけると思うので、どうか離脱せずにしばらく読んでいただきたい。
小・中学生の時から勉強は人並みにできたという西澤さん。

「中学の野球部にいた先輩がヤンキーで、タバコを吸いながらバッティング練習をしているのが怖くって。でもそれがカッコイイなと思ってました(笑)。高校生になったら不良と友達になりたいと思ったので、とりあえずテストの点を低くして、彼らのマネをしてみようと(笑)」

私はいきなり面食らった。

「だって、カツアゲは…犯罪になっちゃうし無理。見た目チャラチャラするのも…恥ずかしいし無理。でも『あっ、バカにならなれるぞ』って

だって勉強しなきゃいいだけのことだし、と西澤さんは飄々と言ってのけた。
不良に憧れていた彼にとって、その脳の働きを止めるのは、実に簡単なことだった。
そして彼らとつるむうち、成績は見事学年で360人中357番を記録。
1年、2年と、全く授業を聞かないように頑張ったそうだ。

不良たちのおかげで、毎日がとても楽しかったという。

それでもやはり、元来の真面目な性格までは矯正できなかった。
「3年のころかな。そろそろ元の生活に戻るか~、不良は楽しんだしと(笑)。でも、使ってなかった脳は溶けきってた。例えば『15時に駅に集合だから、何時に家を出ればいいんだっけ?』とか、そういう計算もできなくなっちゃってて(笑)。
で、まあ生活できないレベルじゃいかんなと思って予備校に通うんですけど、その先生が、テンションは低いけど全員のことをフラットに見ている感じの先生で。中高時代の先生は、先生なりに熱く向かい合っていたと思うんですけど、それが僕には合わなかった。別に熱血教師じゃなくても、僕もこんなスタイルの先生だったら目指せるかもしれないと思って、再び勉強を頑張りました

いろいろなことをイチから勉強しなおす必要があったため、私大の3教科ではなくセンターの5教科をまんべんなく選択。
教員免許が取れる大学をいくつか受験し、そのうちの1つである名古屋の大学に進学した。

実は、私とは、ここで出会っている。
西澤さんは大学の同期なのだ。

1つ年上の西澤さんはとても穏やかで聡明な人だったから、この話を聞いてとても驚いた。

在学中、友人らが洋楽や映画などに詳しく、それに負けじと西澤さんもひと月に何枚・何本もの作品を買ったという。
このときに感じた“あること”が、今後の彼のベースとなる。

第2回へ続く>

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