<第1回>見えないゴールの“第一走者”。信じた人が歴史をつくる。―山口大学教授・竹中幸史

今、これを目にするあなたがいること。
あなたの過去を、また周囲の誰かの過去を、ずっとずっと遡れば、そこには途方もなく長い歴史の流れがある。
その歴史を研究し、すなわち過去を学ぶことによって未来のありかたを提起していく学問を「歴史学」というが、ただそれが、私たちの人生にどう影響してくるのかと問われれば、しばらく思案せざるを得ない。
なぜならあなたは、そして私も、歴史の中にいながら、日々そのことを実感して生きてはいないからだ。

そんな、一見するとふわふわとした「歴史学」でも、山口大学で教授を務める竹中幸史さんにかかれば、たちまち興味を引く内容に変わる。
自分が今ここにいて、これを目にしている。これを持っている。ここに立っている。そんな至極当然のことが、なんだかとてもありがたく、面白く、不思議に思えてくるのだ。

彼の目に「歴史」はどう映っているのだろうか。そして、この道を歩んだきっかけは。
彼の「人生」という特別講義を聞いていこう。

平凡な学生時代の中で抱いた、教職への憧れ。

大学の教授、というのだから、きっと子どものころから勉学は得意だったに違いない。勝手にそう思い込んでいたが、竹中さんから聞かれたのは意外な言葉。

いやー、そんなにね、勉強ができてたというわけではないかな。本が好きかと言われてもそんなにだったし…(笑)。かといって、運動も、別にそこそこ。体は大きいけれど、威張るようなガキ大将でもなかったしな。どちらかといえば、よく泣く子だった。なんていうかな、何もしない子。だって得意なことないから(笑)」

これにはしょっぱなから驚かされた。あの宮沢賢治の名作『注文の多い料理店』を、繁盛しているレストランの話だと思っていたそうだ。猫の存在を通して身分や階級への批判を暗に描いている作品だと読み解けるようになったのは、大学2年生のときだったという。童話と言えば「おおきなかぶ」しか読んだ記憶がない、と笑ったのが印象的だった。

そんな少年時代を過ごしていた竹中さんだったが、家では父親の影響で歴史もののテレビ番組をよく見ていたそうだ。特にハマったのが、小学3~4年の時の1981年の大河ドラマ「おんな太閤記」。豊臣秀吉とその妻・ねねを中心として描かれた戦国時代の物語である。そんな我が子を見て、母親も歴史マンガばかりを買い与えた。「本当はジャンプとか読みたかったんだけどね、買ってくれないから仕方ないよね」。竹中さんはまた笑うが、初めて「得意なもの」が自身の中に芽生えたことに、このころはまだ気づいていなかった。

中学に上がった時のことだ。勉強も運動もそこそこ、という状況は変わらなかったが、初めての中間テストで、地理の試験でクラスの一番になった。

あれ?俺、社会得意なのかも。ってそのとき初めて思ったね。テレビとマンガのおかげで歴史も好きだったし。それから、そろばんやってたおかげで数学の点数もよかった。あと国語も好きだったな。塾は行っていなかったけれど、なんとなく得意なものが見え始めてきたんだ。ちょうどそのころかな。教師になりたいと漠然と思うようになったのは」

教師になるためには大学に行かなくてはならない、というのは、中学生でも容易に考えがついた。いやむしろ、大学にさえ行ければいいのだから高校はまあどこでもいいだろうと、家から近いところを選んで進学。
しかしこれが、想像もしなかった毎日の始まりになった。

「あのね、ワルばっかりでどうしようもない学校だったの。ホント、一番近い高校という条件だけだったから、入るまで知らなかった(笑)。とてもじゃないけれど、勉強する気あるのか?と聞きたくなるようなやつらばっかり。当然のように、授業は授業ではなかったね。みんな好き放題やっていて。それにつられて、僕も全く勉強しなくなっていた

授業を聞かず、家に帰ればゲームや友人たちとの遊びに興じた。それなりに楽しかったが、特に打ち込めることもなく、毎日が惰性で過ぎていった。

ところが、高2の時の授業でフランス革命を習って。こんなに面白い出来事があるのかと、僕は食い入るように授業を聴いた。貧しい民衆の姿。日々苦しみに耐えながら、暮らしをよくするために政治を変えていこうとする人々のドラマ。いつか、もっとフランス革命のことを知りたい。そう思うようになっていたんだ

そして高校3年生の時に出会った一人の教師が、竹中さんの運命を導いていくことになる。

<第2回>へ続く

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