生粋人

“不屈のエナジー”。「地獄」を見たら這い上がるだけ。――地獄温泉「青風荘.」代表・河津誠

2016年4月に起きた、熊本地震。4年が経過した今でも、被害の爪痕は熊本県内の各地に色濃く残っている。
※熊本地震:2016年(平成28年)4月14日(木)21時26分以降に相次いで発生した地震

南阿蘇にある「地獄温泉」もしかり。ここで温泉宿「青風荘.」を営む河津誠さんは、当時のことを回顧する。

「裏手に山が見えるでしょう。あそこから、ダァーっと山肌が崩れてきて、宿に襲い掛かってきた。あのときは夜だったんですが、お客様を避難させなくてはと、とにかく必死でした

自慢の温泉はことごとく土と泥の中に埋もれた。さらに追い打ちをかけるように、その2か月後には大雨で大規模な土石流も起こった。明治期から建っていた本館も含め、建造物はほぼがれきになり、敷地の約7割が土砂に埋もれるという大惨事となった。

聞いているだけで、眉をひそめたくなるような状況。しかし河津さんは優しい笑顔を携えてこう話す。

「落ち込んじゃいられませんよ。お客様を避難させたあの日から、僕のスイッチは入りっぱなしなんですから。立ち止まってなんかいられない」

一度“地獄”を見た男は、不屈の挑戦に燃えていた。

「湯治」として栄えた温泉宿。本来のあるべき姿を再び。

地獄温泉の起源は江戸時代にまでさかのぼる。阿蘇五岳のうちのひとつに数えられる烏帽子岳の山麓に沸く温泉で、古来より「湯治場」として親しまれてきた。

「もとは熊本の藩士しか浸かることを許されていなかったほどの名湯とうたわれていました。しかし、この素晴らしさは庶民にも平等に分け与えるべきだということで、『湯が沸くところに人々は集まり、そこではみな平等である。守ればみな入浴可、守れないもの入浴おあずけ』という掟を作ったそうです。湯はみんなのものだから、我が物顔で入ってはいけないとか、自分や他人のことを見つめなおすいい機会だとか、他人と距離感を保ち尊重すべきとか、そんなことがお触れで書かれていて。やはりここは、疲れた体を癒す『湯治場』ですからね。心身の癒しが、本当の意味で追求されていたんだと思います

特に、地獄温泉に8つある湯のひとつ「すずめの湯」は、老若男女から愛された混浴湯だった。裸での混浴に対して敷居を高く感じるものもいたが、ここに来ればそれぞれが礼節をわきまえて、とろみのある白濁した源泉に思い思いに浸かった。底に沈殿する泥を掬って肌に塗れば、たちまちしっとりとした潤いを帯びるし、ph2.6というきわめて強い酸性の硫黄源泉の香りは、なんともいえない趣を感じさせた。人々は、足元からぷくぷくと源泉が湧き出るリズムを楽しみ、大地のエネルギーをじかに受け取った。
そして夜になれば雄大な山々のしじまに抱かれながら、宿でゆったりと時を過ごした。

そんなさなかに起こったのが、2016年の熊本地震である。前述したように、敷地の大部分は土砂の下。呆然としながらも復興を始めた矢先に、夏の豪雨災害が追い打ちをかけた。

地盤の緩んだ山はいとも簡単に崩れ、道路は寸断された。トラックも車も人も通れず、思うように作業が進まない。

その期間実に2年半。近辺の道路に至っては4年にもわたって埋もれたままだった。

「正直、今のように前向きな気持ちにはすぐにはなれませんでした。先祖がずっと守ってきたものが、一瞬で壊滅してしまったのですから。でも僕は、あるものを見て、気持ちを入れ替えるんです。負けてたまるか。負けてたまるか。絶対に、立て直してやるんだ、って

河津さんを奮い立たせた、あるもの。

それこそが、「すずめの湯」だったのである。
8つあった湯のうち、「すずめの湯」だけはかろうじて残ったのだった。

この温泉を、守らなければ。

再び、多くの人々に親しまれた混浴の湯治湯を目指して、地獄温泉を再興させなければ。

河津さんが、心の中に復活への狼煙を静かに掲げた瞬間だった。

地獄温泉の再興にあたり、河津さんが見直したのは「湯治の本質」。遊興や娯楽に特化した温泉宿、というのは、目指すところではなかった。

「がれきと化した建物を片づけているうちに、敷地の奥のほうにある木造二階建ての本館の骨組みが露になったんです。この土台を見たときに僕はびっくりして…。それはどう見ても、『お客様に長く滞在してほしい、ゆったりと傷をいやしてほしい』という一心で、しっかりと強固に建てられたものに違いありませんでした。道も舗装されていなくて、重機もトラックもない時代に、敷地内の一番静かなところにどっしりと構えるように。この基礎をつくるのにひとかたならぬ苦労があったことは、一目瞭然でした。地震が起きて初めて、先人たちが土台に遺した“思い”を知ることができたんです

痛みやつらさ、苦しみ。目に見えるものだけでなく心の傷も癒すような温泉。それが昔ながらの「湯治」だった。人々の心が傷ついた今こそ、心から安心できる場所をつくるべきなのではないか。河津さんはそう考えた。

まずは待望の声も多かった「すずめの湯」の復興に取り掛かった。源泉は地震にも大雨にも負けず、大地から力強く沸き続けていた。大自然から力をもらい、自分の内に沸き出るエネルギーで心身を整える湯治のパワーを、河津さんは“ライジング・エナジー”と名付けた。

負けてたまるか。河津さんは幾度となく自分を奮起させた。再び入浴客を迎え入れたくてうずうずするかのように、「すずめの湯」は大地の底からぷくぷくとライジング・エナジーを放っていた。
2人の弟たちと協力し、経営面からコンセプトまで、幾度となく話し合った。いつしか彼らは「地獄の三兄弟」と呼ばれるようになった。

復興に充てた予算は、なんと10億。震災も含めて、この経験を自分たちの代だけで終わらせるわけにはいかない。自分達の先祖がそうしてきたように、100年後の未来に向けて、資金をかけてでも地獄温泉「青風荘.」を復活させなければと考えた。

Tシャツには、地獄温泉の近くに位置する垂玉温泉(たるたまおんせん)の文字も背負った。

「垂玉温泉は、残念ながらこの災害で温泉宿としての復興は今は難しくて…。だからせめて、彼らの思いだけは一緒に背負っていたくてね…」。河津さんは目を伏せがちにしてつぶやいた。

こうして2019年4月16日、宿やほかの湯に先立ち「すずめの湯」がリニューアルオープンしたのだった。

震災からちょうど3年が経った日のことだった。

新生・「すずめの湯」では、時代の流れに沿うように、湯あみ着を着ての着衣混浴というかたちをとった。もちろん持参する水着でも入浴は可。湯あみ着は受付で借りることができる。

「これまでのお客様、特にご年配の方は、『服を着て風呂に入るなんて』と難色を示される方もいました。しかし、乳がんで乳房を切除した方や、LGBTの方、あざや傷がある方など、『着衣でよかった』というお声も頂戴できたんです。心身に傷や痛みを負う全ての人を分け隔てなく受け入れ、癒す。それが現代の湯治の在り方だ、間違っていなかったんだと思いました

「すずめの湯」には男女別の内湯も併設されており、そこでは通常どおり裸で入浴できる。有事の際の安全面を考え、木造とRC構造で建てたという。

その後、同じく人気だった「仇討の湯」「元湯」が復活。それぞれ元通りにするのではなく、耐震性やデザイン性も組み合わさった、新たな趣を感じられるつくりとなっている。

震災を機に、高台には「たまごの湯」という湯も誕生した。こちらもRC構造で建てられ、万が一災害が起きた場合でもこの「たまごの湯」が土砂災害を一手に受け止め、施設全体を守る設計にしたという。

「災害が起きたからこそ、視界が開けて、ここに湯をつくることができた。『たまごの湯』からの眺めは絶景ですよ。昔を知っている人にはどこか懐かしく、これから地獄温泉を訪れる人には新しい発見があるような、そんな温泉にしたいですね

完成したばかりの食事処「山竃処(やまくど) あそつみ」では、地元の食材をふんだんに使用した、阿蘇ならではの郷土料理がさまざまにいただける。

さらに驚くべきことに、ここの料理長は「地獄の三兄弟」の末弟・進さん。ミシュランで三ツ星を獲得したこともある京都の老舗料亭「菊乃井」で、花板を務めるほどの腕前だ。そんな進さんにかかれば、カジュアルなメニューも、特別な日に食べたい一品も、格段の味わいとして記憶に残ることだろう。

現在は、本館の建て直しをはじめ、くつろぎの場の建築が進められている。内部は、樹齢500年にもなる木の梁を活かしたり、湯だけでなく読書や音楽も自由に楽しんだりと、客が自由にくつろげるようなつくりにするそうで、河津さんはそのひとつひとつを案内しながら、いずれ訪れる完成の時を語ってくれた。

3棟ある離れはすでに完成し、9月18日から宿泊が可能に。すでに予約が始まっているため、ぜひ利用してみてほしい。秋冬の色に染まる阿蘇の山々は、きっとまた格別だろう。(受付電話番号:0967-67-0005、詳細は下記HPより)

ゆっくりではあるが、決して歩みを止めずに。
阿蘇は、そして地獄温泉は、着実に前を向いて進んでいた。

元気な人も、気持ちがギリギリな人も、一度“地獄”に来たらいいんですよ。地獄の底を踏んだなら、もう大丈夫。どんな傷を抱えた人でも、きっともう一度這い上がれるって信じています。なんてったって、ここは、大地からエナジーが湧き出る場所なんですから

河津さんの中にある、ライジング・エナジーは尽きることを知らない。
そして、それはきっと、知らないうちに私たちのなかにもあるのだ。

人生に打ちひしがれたとき。
目の前からすべてが無くなってしまったとき。

落ち込み、涙に暮れる前に、なにくそ負けてたまるかと、自分の中にある不屈のエナジーを信じてみたい。

そしてそこからもう一度這い上がるために、“地獄”を訪れてみるのもいいだろう。

地獄温泉 青風荘.
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽2327
0967-67-0005
10:00~17:00(16:00最終受付)
火曜休(祝祭日は営業)※別途振替休日の場合はHP、FB等で告知
http://jigoku-onsen.co.jp/

Text:光田さやか
Photo:荻野哲生
資料提供:地獄温泉 青風荘

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