<第1回>このコたちにできること!わたしは“プロデューサー”。――にんじんちゃん・永井千春

私は彼女の笑顔が好きだ。

ほんわかしていて、おっとりしていて、見ているだけで心が温かくなるからだ。

彼女はいつも大勢のなかにいる。彼女が笑うと、まるで水面の波紋のように、それがゆっくりと広がっていく感じがする。心の温かさも伝染していくのかもしれない。

だから私は、彼女のことを「みんなの千春さん」と呼んでいる。
煮ても、焼いても、そのままでも。
料理にも、お菓子にも、古くは薬膳としても。
主役にも、脇役にも。
どんなシチュエーションでも、どんな具材と一緒でもしっくりと馴染む「にんじん」みたいな存在だからだ。
とどのつまり、そんな彼女のことが私は大好きなのだ。

でも、今日は「みんなの」じゃなくて、「私だけの」千春さんだ。
職権濫用して、ひとりじめだ。
インタビューで彼女のことを深堀りしていくと、彼女の中に強い“芯”を感じた。そこを見逃さず、さらに聞いていく。人参への愛が強すぎるのか、やがて語気を強め、机を揺らす彼女。

…ほんわか、おっとりな彼女はどこへ?

  

にんじんと過ごし、にんじんと離れ、にんじんに戻った人生。

気づけば、身近にあったもの。
見渡す限りの、青々とした畑。
コンテナに積まれた人参。
袋がいっぱいの作業場。
土のついた、おばあちゃんの手。

どれもこれも、大好きだった。

千春さんの家は、碧南で大正時代から続く農家。人参のほか、たまねぎも育てているそうだ。
子どものときの遊び場といえば、もっぱら畑。間引きなどを遊び感覚で手伝っていたという。
幼いころからにんじんが文字通り「となりに」ある生活は、彼女にとって何の違和感もなかった。
ところが、だ。

「中学校に入ったころかな。管理栄養士になりたいって思って。あ、でも家のこととか考えていなくて。むしろ、農家から逃れたいっ!って思っちゃってました(笑)」

あまりにも近くにありすぎたから、距離を置きたくなった。そんな心境だったのだそうだ。

「でも食べることは好きだったので、学校を卒業してからはカフェで飲食スタッフとして何年か働きながら、管理栄養士の勉強もしてて。でも時折、“私、なんでここにいるんだろう”って思うこともありました。家のことやれるのは、私しかいないんじゃないかって。人参のことがずっと頭の片隅にあったのかな。やっぱり、家のことやろう、って思ったんです」

人参も、千春さんに育ててもらうのを、待っていたのかもしれない。

畑に戻ったはいいものの、周りをみれば同世代は腕っぷしの強い男性ばかり。山盛りに人参を収穫したコンテナは1つあたり20kgにもなるという。
運ぶどころか、持ち上げるだけで精いっぱい。専門的な知識もない。
ついでに言うとトラクターも乗れない。
ない、ない、ない。
私はココから「農家1年生」なんだ。
こんな私が、今からできること…?

「それで、野菜ソムリエの資格を取ろうと思いました。私にしかできないことを、探したくて」

人参のことも、ほかの野菜のことも。
栄養素、調理法、成り立ち、適した栽培法、かかりやすい病気…。
来る日も来る日も、猛勉強した。
ずっととなりで待っていてくれた人参に、恩返しをするように。

試験を受けに東京まで行った。手に職がある人たちがスキルアップのために受験していくなか、自分だけフリーターだった。一瞬、ひるむ。
しかし、千春さんにはほかの誰も持っていない、小さい頃からの「経験」と「人参への愛」 いう武器があった。
その経験と愛を活かした野菜ソムリエに、なりたかった

こうして、見事試験に合格!
野菜ソムリエになった彼女は、家業に就き、やがて周囲から「にんじんちゃん」と呼ばれるようになった。
碧南の人参をPRするために、当たっては砕け、奔走する毎日。
忙しかったが、充実していた。

千春さんの“プロデューサー”としての一面が開眼するまで、
もう少し話を続けよう。

<第2回へ続く>


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