生粋人

<第1回>“今を生きる”。うつ病を経験した一年間が、僕に教えてくれたこと。――日高圭

行きかう人々が肩をすくめながら歩く、年末の名古屋駅。待ち合わせのメッカでもある金時計の下で、朗らかな笑顔を携えて私たちを出迎えてくれたのは、日高圭さん(41歳)だ。

歩く。座る。ところどころに垣間見えるスマートな所作。丁寧でありながらユーモラスなワードセンスがとても心地よい。そしてなにより、なんでも話せてしまえそうな、懐の広さを感じる人だ。インタビュー内容の事前打ち合わせという名目でランチをしながらも、なぜか私がカウンセリングを受けているかのようだった。

インタビューは、気楽に日高さんのご自宅で行うことに。
話を聞けば、日高さんの人生には「気づき」と「諦め」があった。

二度の大震災。うつ病。親友の急死。

数々の経験から、日高さんが見出した答えとは。

二度の大震災での「気づき」。それは人に携わることへの興味

「僕ね、スクールカウンセラーになろうと思っていたんだよ」。

高校二年生の時に起きた、阪神大震災がきっかけだったと日高さんは話す。理系を専攻していたが、人々の抱える不安や怖れに寄り添える仕事につきたいと、臨床心理士を志したという。大学も神戸に進学にし、ボランティアにも参加した。

「でも、当時の大学の教授に、一度社会に出たほうがいいよと言われて。それでちょうど、今の百貨店が立ち上がる時だったので、そこに入社して社会経験を積もうと思いました。学んだ心理学の知識を生かして、人が活き活きと働ける従業員満足度日本一の会社をつくりたいという気持ちがありましたね。だから配属の希望も、人事部で出しました

入社すぐは販売や外商営業などを経験し、その後人事部へ。人事部では8年間、社員育成や人事制度設計に携わった。採用では毎年毎年、個性豊かな多くの学生とも会った。

そんなときに起きた、二度目の震災。東日本大震災である。

「とにかく心が痛かったんだよね。いつ自分の身に起きてもおかしくないし、できるうちにできる限りの支援活動をしたい、と仕事とは別にボランティア活動をしていた。すると、そこで志の高い学生さんにも出会った。これまでは、採用はよりよい学生さんを選抜することを目的としていたけれど、このような学生さんたちと話ていると、『どこの会社とかではなく、社会人の一人として、この子たちが活き活きと成長できるような社会をつくっていかないといけないな』という感覚になってきた。会社の内外に関わらず、この子たちの成長に携われる大人でいたい、それが自分のするべきことだと

それからというもの、NPOや学生支援の活動にも力を入れ、自社の採用に関係ない学生の就職活動も支援をした。彼たち彼女たちが、社会人となった今でもつながりは続いているそうだ。「あっ、僕、人事を語りだしたら長いよ(笑)」と付け加えて笑う日高さん。

「人材教育、採用、人事制度、ワークライフバランス…。これまでいろんな講演会もしてきたし、理想の人事とかも話したいなあ。なんなら自分で原稿書きたいくらいだよ(笑)」

人事の仕事にやりがいを感じている様子がひしひしと感じられる。また別のトピックを立てて、当サイトでご紹介することになりそうで、今からとても楽しみだ。

その後、人との出逢いが人生に影響することの大きさに気づいた日高さんは、自身が主体となってコミュニティを作ったり、人と人とをつなげたりという、現在の活動に通じていくこととなる。

二度の震災を機に、進路の転機を迎えた日高さん。

しかし、この二回のターニングポイントの間には、まだ語られていない“一年”があった。

第二回>へ続く

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